バラ十字会

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神秘学派とバラ十字会

The Mystery Schools and the Rosicrucian Order

S. R. C. ジュリー・スコット
北中南米担当英語圏本部主宰
By Julie Scott, MA, S. R. C. Grand Master
of the English Language Grand Lodge for the Americas

パルテノン神殿 Parthenon
提供:ウィキペディア・コモンズ
撮影:Onkel Tuca

 古代の西洋世界において、神秘学派は、学問と神秘への入門の中枢機関となっていて、宇宙や自然や人間についての神秘が探究されていました。こうした活動の中心地では、そこで学ぶ人々が、調和のうちによりよく生きることができるように、自然の法則と原理についての教育がなされていました。真の自己をよく知るために内省することが奨励され、宇宙の〈偉大なる神秘〉とつながっているという感覚が、心の中に生じてくるように導かれたのです。

 こうした古代の神秘学派が保持していた伝統的知識と、そこから生まれた哲学を、今日、バラ十字会は継承しお伝えしています。ここでは、最古の源泉から現在に至るまでのバラ十字会に伝わる知識の源流をたどってみようと思います。

 最初に、「ミステリー」(mystery:神秘)という言葉の意味を明確にしておきましょう。「ミステリー」の語源は「ミステリア」(mysteria)であり、この「ミステリア」は「ムオ」(muo)という動詞と「テリア」(teria)という名詞に由来しています。「ムオ」には、口を閉ざす(秘密にする)とか、目を閉じるといった「閉ざす」という意味があり、「テリア」は「祝祭」という意味です。エレウシス密儀の優れた研究者であるカール・ケレーニイ(Carl Kerenyi)によると、「ミステリア」という言葉の意味は、「そこで、秘密が伝達された祝祭」*1となります。

 『哲学・宗教事典』(The Dictionary of Philosophy and Religion)は神秘学的宗教(mystery religion)を次のように定義しています。「古代ギリシアおよび古代ローマ時代に普及していた宗教分派の一団に与えられた名称である。神秘学的宗教を特徴付けていたのは、秘伝の知識と儀式の体系であり、伝えられるところによれば、その知識や儀式には、入門者を清め、神との合一と個人的な不死を保証する力があった。実質的には、あらゆる神秘学派が中心テーマとしていたのは、救い主の死と復活にまつわる事柄であった。」*2

 神秘学的宗教には、古代ギリシアのエレウシス・オルフェウス密儀と古代ローマのミトラ神礼拝も含まれています。バラ十字の伝統をここに加えるならば、オシリスとイシスのエジプト密儀と、アクナトンとその偉大な祖父トトメス三世にまつわる神秘学派と、イタリアのピュタゴラス学派も含まれることになります。

 こうした古代の神秘学派について、どれくらいのことが明らかになっているのでしょうか?

 あまり多くのことは分かっていない場合もあります。また、もし知っていたとしても、すべてを語るべきではないと私は考えています。こうした古代の伝承知識には、一貫して秘密厳守とあいまいさがあります。古代の神秘学派は多くの場合、入門者に秘密厳守の誓約を要求し(通常、その誓いを破れば死刑となりました)、有名なデルポイの神託のように、教えや答えは謎めいた言葉やパラドクス(逆説)の形で示されました。

 ですから、まだ発見されていないことが多くあります。たとえばエジプト学も、比較的新しい分野です。フランスの言語学者でエジプト学の父であるシャンポリオンが、古代エジプトのヒエログリフをようやく解読し、その内容を初めて発表したのは1822年のことでした。それ以前の何世紀もの間、ヒエログリフの意味を知る人は誰もいませんでした。また、エジプト学者たちはおよそ100年前まで、アクナトンが王(ファラオ)であったことを知りませんでした。アクナトンの名前が古代エジプトの記録から抹消されていたからです。また、古代の著述家イアンブリコスとアプレイウスによって記録されているイシス崇拝の儀式の説明などのような、古代エジプトの伝承に関する碑文や史料は見ることができますが、事実であることが完璧に信頼できる史料や碑文は極めて稀です。

 また、私たち自身は現代的な精神を持ち、現代に特有の考え方をしているので、碑文や史料を正確に解釈しようとすることは、大きな困難をともなう挑戦です。発見された古代エジプト史料の解釈のほとんどは、イギリスのヴィクトリア王朝時代の教育を受け、その当時優勢だった文化背景や学問、理論に影響されていた考古学者や研究者の視点を通じて提供されてきました。

 たとえば、当時のエジプト学で長いこと一般的だった考え方に、ピラミッドの内部に書かれた文章は葬儀に関わるものだけで、ファラオが死後の世界へと旅するときに案内の役割を果たすものであったという説があります。しかしそれとは別の観点、つまりシャーマン(ある種の部族社会で神々と人間を仲介する役割の人)の観点でこれらの碑文を解釈してみると、それは、亡くなった王を導くためのものではなく、初歩的な段階にいるシャーマンを別な領域へと導くためのもので、彼は、病気を治す能力や、存在の別な領域にあるものと意思を通じ合わすことができる能力を得て戻ってくるのでした。*3

 古代の神秘学派で何がなされていたのかについての、信頼に足る情報は、長い間秘密にされてきたために、数が限られ、調査に用いることのできる史料や遺物はまだ十分ではありません。そして古代の人々の観点で理解すること、とりわけ、司祭や女司祭やシャーマンについての私たちの理解には限界があります。しかし、古代の神秘学派のおかれた当時の状況や、入手可能な碑文の情報、現存する寺院や史料などを研究し、古代エジプトおよびギリシア、そしてローマの人々の精神に波長を合わせ、そして単なる知的理解を超えた別の知覚方法へ向けて自身の心を開くことによって、古代神秘学派に共通するテーマや目的について、情報の断片を集め、全体像を把握することができます。私たちは、現代の時間と空間を超えて、古代の神秘家や研究者、そして入門者が、当時何を行っていたかという実像に肉迫することができます。そして、最終的に私たちは、古代に伝承されていた英知を研究し、身をもってそれを感じることができるのです。そのような英知は、西洋の秘伝主義思想を通じて継続して伝えられてきたものです。

 クリストファー・マッキントッシュ(Christopher McIntosh)はその著書『The Rosicrucians』(邦訳書名「バラ十字団」)で、「バラ十字運動は、その源流が古代にまでさかのぼる思考様式であり、西洋の秘伝主義の伝統であると述べることができる。」*4と書いています。『バラ十字会の歴史と神秘』(Rosicrucian History and Mysteries)の中でクリスチャン・レビッセは次のように述べています。「バラ十字思想の歴史は、まさに西洋秘伝主義の歴史であるので、秘伝主義思想(esotericism)という概念の根本にあるものをはっきりさせておくことが重要である。(中略)この言葉のそもそもの意味は、『内部に向かって』であり、直接入手することができないことを表している。(中略)そこには、グノーシス(gnosis:神秘的直観)、すなわち、変容と呼ばれるソウルの再生へと至るための知識が含まれている。」

 「さらに、アントワーヌ・フェーブルが示しているように、秘伝主義思想は、明確に規定された一群の教義というよりはむしろ、さまざまな問題に取り組む方法を構成している。錬金術、魔術、占星術、カバラ、マグネティズム、そして、それにまつわるさまざまな技法といった秘伝主義思想の基本的要素は、容易に把握できる類のものではない。それらは、ゆっくりと時間をかけて断片から組み上げられ、徐々に西洋世界に浸透し、さまざまな影響にさらされ続けてきたのである。」*5

 バラ十字会の思想の源流は、一部の言い伝えによれば「原初の伝統」の発祥地であるアトランティスにまで遡ります。一方で、次のようにも書かれています。「この概念が最初に現れたのはルネッサンス期においてであり、とりわけエジプトの神官ヘルメス・トリスメギストスが書いたとされる一群の神秘の書、『ヘルメス全集』(Corpus Hermeticum)が再発見されてからである。」*6

以下は、最古の源流から現代にいたるまでの、バラ十字会にまつわる年代記です。

アトランティス(先史時代)
Atlantis (prehistory)

 プラトン(紀元前428年頃~348年)は、著作『クリティアス』と『ティマイオス』の中で、アトランティスについて詳細に述べています。そして、アトランティスについての知識は、ソロン(紀元前640年頃~558年)からプラトンに引き継がれたものであり、そのソロンはアトランティスについての知識を、エジプトの神官たちから得たと語っています。アトランティスはかつて実在し、『原初の伝統』の揺りかごであり、バラ十字の伝統へと流れがつながっていると考えている人々もいます。この洗練された高い精神性を持つ文明は、数千年にわたって繁栄しましたが、戦争を仕掛けた人々と堕落と迷信によって衰退して行き、紀元前9564年の大洪水によってついに滅亡したとされています。一方で、アトランティスは単に、『原初の伝統』の未知の源流の象徴に過ぎず、過去の『黄金時代』を表現したものだと考えている人々もいます。

エジプト先王朝時代
(紀元前一万年頃~紀元前3千年頃)
Pre-dynastic Egypt

 古代の言い伝えによれば、アトランティス人は、再生と復興のための文化的、精神的な拠点としてエジプトを選んだとされています。

エジプト王朝時代
(紀元前3000年頃~紀元前30年)
Dynastic Egypt

トトメス三世のカルトゥーシュ

トトメス三世のカルトゥーシュ。バラ十字会の正式な紋章として、長い間使用されている。

 伝説によれば、エジプトの初代の王は、アトランティス人の中から選ばれたといわれています。その後、トトメス三世(紀元前1473年~1425年)はファラオ(王)としての務めを果たす一方、カルナックで神秘学派を直接指導し、複数あった神秘学派を一つの組織にまとめました。「偉大な偉大な」と形容される、彼の孫のアクナトン(紀元前1353年頃~1336年頃)は、古代エジプトに一神教を導入するという責務を果たし、芸術の大改革を起こしました。紀元前332年にアレキサンダー大王に征服されると、エジプトの文化と精神性は、ギリシア・ヘレニズム文化と混和し、地中海地方の全域に大きな影響を及ぼしました。この古代の伝統は、歴史の変遷の中で、いくつもの小道を経て伝えられ、現在のバラ十字会の中に現代的な表現を見いだしています。

エッセネ派
(紀元前2世紀~西暦100年)
Essenes

 エッセネ派は高い精神性を保っていた共同体で、エジプトとイスラエルの全土から神秘家が集まってきていました。その中心地のひとつが、死海文書が発見されたクムラン(ヨルダン北西部)であったことに、ほぼ間違いはありません。イエスは、このエッセネ派の共同体の一員であったと多くの人が考えています。彼らが実践していたことの多くは、ピュタゴラス学派のものによく似ています。エッセネ派の別の共同体の中にテラペウタエ(Therapeutae)という一団があり、フィロン(Philo)の記述によると、アレキサンドリアの近くに住み、治療を専門としていました。体とソウル(魂)と精神の健康というテーマは、バラ十字の伝統とその先達の教えの中で、常に重要なものとして扱われています。

オルフェウス密儀
(紀元前6世紀頃~西暦391年)
Orphic Mysteries

 オルフェウス密儀は、すべての音楽家の中で最も偉大な音楽家とされるオルフェウスの生涯に関連しています。いくつかの神秘学派の文書の記述によれば、オルフェウスは、ある神秘学派に入門していた実在の人物です。それらの史料によれば、彼はエジプトで20年間を過ごし、メンフィスにゆかりのある神秘学派のメンバーでした。しかし、紀元前6世紀までにオルフェウスは、全くの神話上の人物になっていました。オルフェウスの音楽は、命のないものでさえ動かすことができ、その聖なる歌は、宇宙の最も偉大な秘密を語るといわれていました。オルフェウスの教えは、厳格な倫理的、道徳的行動規範を重要視していました。新しく入門した者は、身を清め、自身からすべての悪を取り除くために苦行を行い、人間の振る舞いの中でも、ディオニソス的な(聖なる)要素を養いました。オルフェウス教徒は肉を食べず、純潔を象徴する白い衣服を着ていることで知られていました。

デルポイの密儀
(紀元前1700年~西暦391年)
Delphic Mysteries

 デルポイは、2000年以上にわたってギリシアの精神的な中心地でした。デルポイの神託では、ピュティアス(巫女)が重要な役割を果たしていました。彼女たちには、不可視の世界と交信する力があり、太陽神アポロンを代弁することができると言われていました。デルポイの神殿は、古代において強大な影響力をふるっていましたが、その理由は、その神託だけでなく、名高い神秘学派に場所を提供していたからです。デルポイのアポロン神殿の入口の上部には、「汝自身を知れ」という言葉が刻まれていました。これは、バラ十字会員のひとりひとりが目標とする事柄にもなっています。

ピュタゴラス学派
(紀元前6世紀半ば~紀元前492年)
Pythagorean School

ピュタゴラスとエジプト人の新入門者たち

ピュタゴラスとエジプト人の新入門者たち。C. Laplanteの絵画『Vies Des Savants Illustres』(パリ市にて1884年出版)より。

 ピュタゴラスは、表面上は無関係に見える宇宙の要素どうしの関係について説いていました。たとえば、数学と自然、数学と音楽などです。ピュタゴラス学派は、自身の精神を、宇宙の実在と調和させるために万物の法則を研究し、そうすることによって森羅万象からなる世界とひとつになることを探求しました。それは彼らにとって、人生の神聖な目的でした。5年間の沈黙の行の後、適性を認められた入門志願者たち(男性も女性もいました)は、ピュタゴラス学派に入門して教えを受けることになり、教えは3段階に分けて与えられました。第一段階では数に関する学問、第二段階では道徳と法律、第三段階では秘伝的な教義が扱われました。

 ピュタゴラス学派の宇宙についての神秘的な理解は、学派が衰退した後も長い間伝え続けられました。そして、ピュタゴラスより後の多くのギリシアの哲学者によって取り入れられ、様々な形で西洋思想に多くの影響を与えています。バラ十字哲学は、これらの概念の多くに具体的な表現を与えています。

エレウシス密儀
(紀元前1800年~西暦500年)
Eleusis

 エレウシスの密儀は、小都市エレウシス(古代ギリシアのアテナイから約20km)で起こり、まずギリシア全土に、そしてその周囲へと広がっていきました。この密儀は、豊穣の女神デメテルと娘ペルセポネーの神話に基づいています。この物語が表しているのは、人間のソウル(魂)が肉体の死後に、宇宙の源泉、愛する源へと戻っていくことを象徴しています。エレウシス密儀の入門儀式は、3段階になっています。それは小儀式(Minor expression)、大儀式(Major expression、9日間続きます)、そして最高の段階であるエポプテイア(epopteia:「観えている」状態の意)です。古代ギリシアでは、この祭礼はたいへん重要視されていたので、開催期間中の55日間は、エレウシス市への行き来ができるように、ギリシア全土で休戦が守られていました。エレウシスの入門儀式は、進歩的なその概念も、ひとりひとりの人に与える効果も、バラ十字会の入門儀式に受け継がれています。

イシスの秘儀
(紀元前4世紀~西暦6世紀)
Isis Mysteries

女神イシスと女神ネフティス

女神イシスと
女神ネフティス

 エジプトのイシスの秘儀は、ギリシア化し、地中海世界の隅々まで席巻し、さらには中東からイギリスまで広がり、エジプトに由来するスピリチュアリティの中でも、最も広く、世界中に伝えられたものとなりました。イシスとホルスの2人に、聖母マリアと幼子イエスの姿を連想すると多くの人々が述べています。古代の著述家アプレイウスは著書『黄金のロバ』で、イアンブリコスは著書『エジプトの秘儀』で、イシスの秘儀の式典について詳細に述べています。これらの秘儀が扱っているのは、限界を超越したい、救済を得たいという、ひとりひとりの人の希望であり、守り育ててくれ勝利を象徴する「聖なる女性」の力強いイメージを提供しています。

ミトラ信仰
(紀元前2世紀~西暦5世紀)
Mithraic Mysteries

 ミトラ信仰は入門儀式形式の神秘学派で、入門者には天文学的な真実が、象徴を通して段階的に伝授され、この知識を使って、探究者が万物の背後にある力と一つになる方法が教えられました。ミトラ信仰には7段階からなる入門儀式があり、そこで志願者はさまざまな試練を経験します。科学的な研究と、象徴的入門儀式と、宇宙との合一が、このように組み合わされることは、バラ十字会における実践の特徴にもなっています。

秘伝主義
(紀元前1世紀~現代)
Hermetism

 ヘルメス・トリスメギストス(エジプトの神トートがギリシア神話に取り入れられたもの)が書いたとされる文書を基にしている秘伝主義(Hermetism)の伝統は、エジプト、ギリシアの影響を色濃く受けていたローマ、ユダヤ教、キリスト教において、そして後にはイスラム教において、その教えを実践していた人々に尊重されました。また、秘伝主義は、古代エジプトの神殿や神秘学派で教えられてきたことを継承したものであると考えている人々が多くいます。秘伝主義はルネッサンス期の多くの神秘家や学者にインスピレーションを与え、この伝統的知識体系が近代において発展して成立した思想は、一般にヘルメス主義(Hermeticism)と呼ばれています。秘伝主義は〈聖なるもの〉と地上のものとの有機的なつながり(“As above, so below.”:上がそうであるように、下もそのようにある。)を強調していて、存在の源に回帰する道を指し示しています。バラ十字哲学は、この秘伝主義の伝統を継承しています。

グノーシス主義
(西暦1世紀~14世紀)
Gnosticism

 初期のユダヤ-キリスト教にあった、さまざまな伝統のひとつで、私たちが今日「グノーシス主義者」と呼んでいるさまざまな学派の人々が特に重要であるとしたのは、人の最深部にある、超越的な〈聖なる一者〉についての、個人的で内的な経験(グノーシス、霊的認識)に到達することです。このグノーシスによって、人は、万物の存在の源とひとつになることが可能になります。紀元4~5世紀に、地中海世界で迫害されたため、グノーシス主義者たちは精神的な修行を続けながら、東ヨーロッパ、中東、北イタリアへと移動し、14世紀にはついに南フランスに到達しましたが、その地で秘密裏に活動することを強いられていました。内部にある知識の中心という事柄は、バラ十字会の学習と実践で、おなじみのテーマです。

ネオプラトニズム
(西暦3~6世紀以降、現代にまで影響)
Neo-Platonism

 古典的ギリシア哲学の伝統が歴史上最後に開花したのはネオプラトニズム(新プラトン主義)においてでした。ネオプラトニズム派の人々は、プラトン、アリストテレス、ピュタゴラスや他の人物たちの取り組みを統合して、哲学的見地からの魂の救済を切望している人々に示しました。ネオプラトニズムは、すべての存在がそこから生じた唯一の源の存在を仮定し、人間のソウルは、その源と神秘的にひとつになることができるとしています。この哲学学派が提供していたのは、セオリア、つまり〈聖なる存在〉を黙想することによって、存在の階段を上昇してゆく方法です。ネオプラトニズムの取り組みは、現在においても、ユダヤ教、キリスト教、イスラム神秘主義思想、そして同様に、バラ十字会を含む秘伝主義の学派に強い影響を与え続けています。

カバラ
(ユダヤ教が始まって以来、現代まで)
Kabbalah

カバラの「生命の木」の配置図

カバラの「生命の木」
の配置図

 カバラという言葉は、「広く受け入れられた」あるいは「広く受け入れられた伝統」という意味です。最初は口述のみで伝えられ、偉大なる秘密とされていました。カバラの基礎的文献であり、最も重要な書であるセーフェル・イェツィラー(Sepher Yezirah)、別名『形成の書』(Book of formation)には、瞑想の方法も含まれていますが、初めて書かれたのがいつなのかは分っていません。口述による教えの伝承は、紀元一世紀以前にまでさかのぼることができますが、『光輝の書』として知られる『ゾハール』(Zohar)が最初に印刷されたのは13世紀後半です。カバラは、ネオプラトニズム、ソフィアの伝統(Sophia tradition)、バラ十字会およびマルティニスト会と強い結びつきがあります。

錬金術(エジプトで発祥もしくはエジプトを経由して、最古の文献は3世紀、そして現代に至る)
Alchemy

 ヘルメス・トリスメギストスによって書かれたといわれている「エメラルド・タブレット」によれば、「神々の力と英知を地上に表現する」ために、ヘルメス・トリスメギストスは錬金術を始めました。錬金術師の目標は、基礎的なものを、純粋なものへと変換することです。カール・ユング博士は、錬金術が自己完成の過程を象徴していることを理解していました。錬金術には物質の錬金術(鉛を金に変えるなど)と、精神の錬金術(個人の変容)があります。精神の錬金術は、バラ十字会のカリキュラムの一部となっています。

テンプル騎士団
(西暦11世紀~14世紀)
The Templars

テンプル騎士団

 テンプル騎士団は、元々、修道騎士たちの集団のひとつであり、パレスチナにおけるヨーロッパ人巡礼者たちを警護するために作られたものでした。後にテンプル騎士団はさらに拡大し、イスラム世界の騎士団にあたる組織と接触していた証拠が残っています。両者は、〈原初の伝統〉の一部である、共通のスピリチュアリティを理想として活動していました。バラ十字会員は、自分たちのことを聖堂騎士団の秘伝的思想の継承者であると考えています。

ソフィアの伝統
(西暦12世紀~現代)
The Sophia Tradition

 〈聖なる叡智〉(Sophia:ソフィア)とひとつになる内的な道は、西洋の伝統を継承する学派、団体、集まりのいたるところで説かれており、そこには、ユダヤ思想(カバラ)、西方教会(ヤコブ・ベーメ、ルイ‐クロード・サンマルタン)、東方教会(ウラジミール・ソロビヨフ、セルゲイ・ブルガーコフ、そしてイスラムのスーフィー教(アリ・イビン・アルアラービ)の修行の道、西洋の秘伝主義が含まれています。内なる〈聖なるソフィア〉との神秘的結婚という考え方は、優れた明快な概念であり、他の複雑な理論体系を頼りにすることがなく、このことは、バラ十字会の取り組みと強く共鳴するものになっています。

バラ十字思想
(1614年~現代)
Rosicrucianism

『バラ十字友愛団の声明』の表紙

『バラ十字友愛団
の声明』の表紙

 バラ十字会の3つの宣言書、『バラ十字友愛団の声明』、『バラ十字友愛団の信条告白』、そして『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学的結婚』はそれぞれ、1614年、1615年、1616年に公表され、バラ十字の伝統がヨーロッパにその姿を現しました。その当時ヨーロッパでは、宗教的、政治的、社会的な対立による混乱が続いていて、大勢の人々が、その時代の迷信と宗教的な不寛容を取り除くための「新たな改革」を待ち望んでいました。これらの一連の宣言書は、「チュービンゲン・サークル」(Tubingen Circle)によって書かれたことはほぼ確実です。この集まりは30人のドイツ人の学者と研究者からなり、錬金術、秘伝主義、カバラ、占星術、ナオメトリー(naomerty)、キリスト教神秘主義の探究に心血を注いでいました。一連の宣言書は相当な成功を収め、ヨーロッパ中に広まりました。当時の多くの哲学者がこのメッセージに気づき、中でもフランシス・ベーコン卿とジョン・アモス・コメニウスは、かなり頻繁にこれらの宣言書について述べていました。1623年には、バラ十字会員がパリ市内の壁に貼り紙をし、「バラ十字の兄弟たち」が市内に「見える状態でも、そして見えない状態でも」滞在していると告知しました。今日、バラ十字会は、バラ十字思想の伝統を継承し、世界中に広めています。

マルティニスト会
(18世紀フランス発祥~現代)
Martinism

 マルティニスト会の起源は、18世紀にマルティネス・ド・パスカーリ(1717-1774)
によって設立された“Order of the Elus-Cohen”として知られている組織です。伝統的マルティニスト会は、入門儀式形式の組織で、基本的にはユダヤ-キリスト教神秘主義に基づく道徳的騎士道を教えていました。「名もなき哲学者」というペンネームで著作を行っていた、フランスの神秘家であり著述家であったルイ・クロード・ド・サンマルタン(1743-1803)から、この会の名称は採られています。そして19世紀の末期に秘伝主義者であったパピュス(Papus)によって組織化され、現在では、バラ十字会の後援のもとに活動しています。

バラ十字会
(1915年~現代)
Rosicrucian Order

 1909年にハーヴェイ・スペンサー・ルイスがフランスに旅をし、その地でバラ十字会の役員たちに承認され、1915年にアメリカにバラ十字会を再び設立する許可書を与えられました。それ以来、バラ十字会(Rosicrucian Order)は、世界中の何十万人もの男女に、人生の意味を探究の道を提供することに尽くし、古代の神秘学派の数多くの伝統と、そこから生じた重要な哲学の数々を伝え続けています。

ENDNOTE

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」(No.120)の記事のひとつです。

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