ネフェルティティ、アテン神
衝立(ついたて)のレリーフ
バラ十字古代エジプト博物館からの逸品
アクナトン王(1353-1335BC)は、エジプト王の位に即位してまもなく、太陽神アテンの礼拝の慣習を定めました。数々の芸術家によって描かれたアテンの姿は、へびの記章をつけている太陽の円盤として描写されていて、二つのカルトゥシュと、その中に柱状に描かれた刻銘に両側を囲まれ、数本の細い腕をちょうど太陽の光線のようにさし出した形になっていました。
1954年にバラ十字博物館に取得された、この繊細な浮き彫りレリーフにもこうしたアテン像が描かれています。その腕はネフェルティティにさしのべられ、、ネフェルティティの娘の手は、この母の顎をなでております。娘の腕の上方にある小さなカルトゥシュは、アテンのために描かれたヒエログリフですが、いまだに読み取ることが可能です。それは、この娘がアクナトン王とネフェルティティ王女のあいだに生まれた第一子のメリタテンか、第二子のメケタテンであることを示しております。
1891年、フリンター・ベトリー氏は、テルエルアマルナでアクナトン王の街を発掘しました。ネフェルティティの居間には、幅六フィート 〈約1.8メートル)、長さ8フィート(約2.4メートル〉のいくつかの寝室に囲まれた、柱廊状の中庭も含まれていました。ドアであったなら、中庭を吹き抜ける涼しい風が遮断されてしまうので、これらの寝室は入り口のすぐ内側に薄い、低い衝立(ついたて)を重ねていました。更にビーズで作ったカーテンも吊り下げられていました。アマルナから直送された上記の写真の断片は、こうした衝立の一つだったのかもしれません。
描かれた像の欠如した部分を補って考えてみると、この断片を含む石灰石の固まりは少なくとも3フィート(1メートル)の大きさであったか、低い壁の高さぐらいであったものと推定されます。この固まりはそのままで自立していたことが判ります。と言うのは、両サイドに彫刻が施してあり、(裏側にはカルトゥーシュ)右側の端は丸くなっているのです。このレリーフ像は部屋の外から見ることができ、また、部屋の中側からも眺めることができるように置いてあったのかも知れません。いずれにしろ、部屋の中にいる人は、この衝立のなめらかな丸いはしをぐるっと回って、外に容易にでていくことができたはずです。王室のレディーたちの寝室の横を通って行くネフェルティティ自身が、このレリーフに描かれているほほえましい場面を眺めて喜んだ、ということもあるかもしれません。
シンジア・ストレッチ
「バラ十字タイジェスト」誌1992年春号より
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