ディスプレイ上に表示された子供のミイラ
子供のミイラ「シェリット」の調査
バラ十字古代エジプト博物館は、シリコン・グラフィックス社(SGI)とスタンフォード大学の協力のもとに、この博物館の最も古くからの住人のひとりである子供のミイラ(RC22)の調査を続けています。これはもともとH.スペンサー・ルイス博士自身が収集したものです。この子供のミイラは、その名前もわからぬまま75年もの間、博物館で展示されてきました。今回の調査の目的は、この子供の正体を明らかにし、その人生がどのようなものであったかを教えてもらおうとするものです。こういったことは、以前には不可能なことでした。というのは、ミイラの包帯をはがすことはそれを壊すことにほかならず、倫理的に許されることではなかったからです。この理由から子供の性別や年齢、名前や健康状態を調べることには、ほとんど望みがないと思われていました―シリコン・グラフィックス社が理事ジュリー・スコットに連絡してくれるまでは。
2005年5月6日の明け方、博物館のスタッフは注意深く子供のミイラを梱包し、スタンフォード大学の病院まで運びました。到着すると、封印された古代の包みは、シリコンバレーの心臓部に存在する高度なテクノロジーにその身をゆだねることになりました。この子供のミイラは、60,000回以上もスキャンされて調べられました。比較のために申し上げると、ツタンカーメンの最近の画像調査でさえ、1700枚程度のものです。完了までまるまる12時間がかかったこの一連のスキャンは、エジプトのミイラに対してされたスキャニング調査のうちでも最高の解像度のものです。それに加えて、子供の顔面のマスクに付着した香水の微細な試料が採取、分析されました。
スキャンされた画像は、加工されていない生のままのデータでした。SGI社のスタッフは、画像処理と3次元化の気の遠くなるような作業を施し、世界のトップレベルの一連の専門家がこの画像を解釈し、この子供の人生の足跡を探せるようにしました。医師や人類学者、歯医者、形成外科医、コンピュータプログラマ、そして香水の専門家までもが、その分野の専門知識や技術を求められてこのプロジェクトに動員されました。
信じられないほど詳細な画像で、私たちの作業は可能な限り容易になりましたが、一方でうっとりするくらい詳細なゆえに、ときには解釈が難しいことも経験しました。たとえば、小児科医は、普段はミイラ化されていない生きた患者を診ていますので、ある詳細な様子が、医学的状態なのか、それともミイラ化の過程に関連したものなのかを決めるために、私たちは綿密に協力をしながら作業を進めなければなりませんでした。
現在得られた結果だけでも、この子供の人生について、実に多くのことが分かっています。博物館にとって重要な疑問のひとつだったのは、この子供が男の子か女の子かということでした。何代もの間、博物館の案内係は、この子供を直感的に「彼女」と呼んできました。案内係の直観が正しかったことをお知らせできるのは大変喜ばしいことです。そう、この子供は女の子なのです。軟部組織の証拠は別としても、彼女の金箔を施したマスクの下には、2000年間、人の目にさらされる事のなかった、長いウェーブのかかった可愛い髪の毛が存在しています。彼女の上品なあごは、胸の上に押さえつけられていて、前頭部がマスクのあごの部分に接触しています。
頭蓋骨の中には、彼女が何歳のときに亡くなったのかということを推定するために必要な証拠がありました。彼女の乳歯はすべてがまだそのままであり、歯の生え変わりが進んでいた様子はまったくありません。より深部のスキャンが示しているように、永久歯は彼女のあごの内部にまだあり、とても悲しいことに、それがしかるべき場所に生えてくる機会が与えられることはなかったのです。歯科的な証拠から少女の年齢は4歳半と判定されました。このことは、エジプト学で証明されているところの、3歳から5歳の間で子供の死亡率にひとつの山があるという話とよく適合します。これには離乳の過程に続く食物の変化が関係しているように思われます。この子供の健康状態全般は、死ぬ直前までは良好でした。彼女の骨は強くて、骨密度も十分で、歯が栄養不良のために穴があいたり欠けたりしていることはありませんでした。死亡の原因は確認できませんでした。おそらく古代から現代まで世界中の多くの子供たちがたどってきた運命を、彼女もたどったのでしょう。汚染された水や食物を口にすれば、赤痢や細菌の感染によって、小さな命は数時間のうちに失われてしまいます。全体的には良好な健康状態であるのに、死亡の原因が分からないということから、彼女は突然衰弱するような種類の病気にかかり、短時間のうちに亡くなったのに違いないと私は考えるようになりました。
体の残りの部分を見て、彼女の体をミイラ化したその作業の質の高さに私は衝撃を受けました。ローマ時代のミイラの中にはたいへん粗雑な作業のものもあるのですが、この子供はとてもよく保存されています。様々な香料や軟膏でさえ、非植物性の溶剤で「薄められて」いませんでした。この少女を保存するために、最高の品質のものだけが使われていました。ミイラ化について興味深いひとつの点は、子供たちの場合には、防腐処置が施された形跡が明らかに見られないことです。彼女の頭部の角度は、枕のようなものが子供には大きすぎたので、使うことが出来なかった事を示しています。当時はよくそうされたのですが、内臓を取り出すために、彼女の左のわき腹に小さな切開がされています。しかしその切れ目は、大人の手には小さすぎたので、内臓を取り出すためのもっと大きな切開が胸にされています。包帯も少々きつすぎて、彼女の足はあごのほうに向かって曲がっています。かよわい子供の体は、普通の強さで包帯を巻くのには、きゃしゃでありすぎたのでしょう。
この子の人生の逸話
これらの情報により、この小さな女の子が自分の身の上と、両親の事情の一部を語ることが出来るようになりました。キリスト時代の頃、この小さな4歳の女の子はナイル川のほとりで、特権階級の暮らしをしていました。ある日、何の前触れもなしに、彼女は重病にかかってしまいます。彼女の両親は、とても困惑したに違いありません。両親は医者を呼んだのですが、まったく役に立ちませんでした。両親はおそらくは香もたき、寺院で祈祷もしてもらいましたが、やはりそれも効をなしませんでした。その小さな女の子は、亡くなってしまいました。両親にその後できることは、死後の世界での再会を望むことだけでした。そのためには、適切なミイラ化がされなければなりません。ローマ時代のエジプトの様式にのっとって、この女の子を適切にミイラ化するのに、惜しみない費用が使われました。最後に金箔を貼ったマスクが彼女の小さな顔の上に置かれ、悲しみに暮れた家族は、この子の存在を永遠のものとし、この子との再会が確かなものとなるように葬儀を行ったのです。儀式では、金箔で覆われた彼女のマスクには香水がかけられました。
私たちがこの女の子のことで最も知りたかったのは、彼女が誰であるかということです。スキャンされた画像のおかげで、私たちは彼女の包帯の内側を覗(のぞ)く事ができ、模様を見る事ができます。何箇所かで私たちは、彼女の名前を表すヒエログリフかもしれないパターンを見ることができました。しかし、それはまだ判読されていません。本当の名前がまだ分からないので、私たちはこの子供に名前をつけました。両親がつけた名前で私たちがこの子を呼べる日が来るまで、彼女は別の名前をつけてもらえるに値します。私たちの小さな女の子は今、古代エジプトで「小さな子」を意味していた愛称「シェリット」という名前で呼ばれています。
リサ・シュワパチ‐シリフ、文学修士
バラ十字古代エジプト博物館館長
Lisa Schwappach-Shirriff, M.A.
Curator
Rosicrucian Egyptian Museum
(北中南米担当英語圏本部「Rosicrucian Digest」誌2005年No.3より)
シリコン・グラフィックス社のAfshad Mistri氏が8月3日のマスコミ向けイベントで報道関係者に語っているところ。
CTスキャン装置に乗せられた子供のミイラ
ミイラの頭部のCTスキャン像
子供の頭部と顔の法医学的再現
ミイラの側面の画像は、この子供のあごが、胸の上に接触していることを示していて、石棺の寸法がうまく合わなかったことを示唆している。
下から上へと並べられたスキャン像は、デジタル的にミイラの覆いが“剥がされて行く”様子を示している。最も上の像と2番目の像では、覆いが剥がされた事によって、内臓を収めたカノープスの包み(canopic packages)が子供の足の間に見られるようになった。
このスキャン像によって、包みと子供の頭がうまく合っていない事が明らかである。
ミイラ化の過程で指が折れてしまったことを、足のスキャン像が示している。
(左から)バラ十字会北中南米担当英語圏本部主宰ジュリー・スコット、エジプト・アラブ共和国総領事アブデラマン・サラヘルディン閣下、シリコン・グラフィックス社会長兼最高経営責任者ロバート・ビショップ氏
子供のミイラ調査チーム
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