行きて帰りし物語
トールキンの諸作品「ロードオブザリング(指輪物語)」等における創造と再統合
スティーブン・アームストロング、F.R.C.
バラ十字エジプト博物館の研究補佐役のスティーブン・アームストロングは、バークレイ校卒業生神学学生クラブで歴史神学と教会史の学位論文を完成させつつある博士候補生です。エール大学、フォードハム大学、その他での古典、哲学、東方キリスト教神学の一般教養と専門教育の経歴を持ち、現在の研究には、東方キリスト教の神秘主義と典礼とそして西洋神秘主義伝統の様々な表現の教義と実践の集合が含まれています。
1954年の出版の時点より、J.R.R.トールキンの名作「ロードオブザリング(指輪物語)」によって、何百万人の人々が魅了され、霊感を受けてきました。今ではさらに何百万人の人達が映画化された彼の英雄的な冒険物語を楽しんでいます。しかし、その魅惑的な物語の背後に、言語、歴史、さらには創造と再統合の神話の全てが揃っている明瞭な世界があることには、少数の人々しか気づいてはいないようです。
我々が生きているこの世界の状況はばらばらになっていて、存在は互いに切断されていると経験は教えてくれています。全てがそこから流出した<聖なる源泉>に、私たちはどのようにして戻ったらよいのでしょうか。神話は、宇宙についての真実を告げてくれている首尾一貫した物語の集合体であり、<源泉>からの流出=最初の運動を私たちが想い描くことを助けてくれます。そして<源泉>へ戻ること=最後の運動を想い描くことも助けてくれます。それとともに、神秘主義と哲学の全てにわたる重大な疑問のひとつが「<唯一なるもの>と<多なるもの>」の周りを巡っています。どのようにして単一性から多様性が生じることができるのでしょうか。どのようにして多様性は単一性に戻ることができ、あるいは単一性と共存さえできるのでしょうか。そのような復帰は個性の喪失をもたらす結果になるのでしょうか。
トールキン、オックスフォード大学の言語学教授にとって、「初めに言葉があった」と言うこと以上の真実はありませんでした。言語史、進化等を備えた12種類以上の完全に明瞭な言語を発明することによって、彼はその創造的な神話の作成を開始したのです(*1)。確かに、トールキンつまり「顕現の主役」(*2)にとって、言語の創造は、聖なるひらめきの象徴のひとつなのです。
創造、創造性、言語、そして歌が古代から問題の<唯一なるものと多なるもの>に関連しているという考えは、人類と同じくらい古いものです。
エジプトの創造神話
古代エジプトには唯ひとつの統一された創造神話はなく、いくつかの神話がありました(*3)。多種多様な神学が原初の水あるいは<神性>から全ての存在が生じたという概念を表現していました。
エジプト人の復帰の道筋はオシリス神話の中にあります。オシリスが切断されたことは<創造>の溶解の最終段階とみなすことができます。一方オシリスのイシスによる復活とホルスの誕生は復帰の始まり、再統合の可能性を表現しています。このように<王>(そして彼あるいは彼女を通して、人々と大地全体)は、次の人生で<聖性>と再統合されてオシリスとならなければならないのです。
もうひとつの古代のアプローチでは、新プラトン主義の創造は通常、<唯一なるもの>からデミウルゴス、<世界霊>への存在の発散として理解されています。そして<世界霊>は<神聖なイデア>を<宇宙>内に顕現させます。<存在>の位階は<宇宙>の<唯一なるもの>に対する像的(iconic)関係を強調します。すなわち、「上のように下にも、下のように上にも」(*4)
プロティノスと、キリスト教グノーシス派のオリゲネスは、物質への下降は悪ではなく、むしろ「<聖なる知性>あるいは<神>の展開において必要な瞬間である。この理由から下降そのものは悪ではないのである。と言うのはそれは神の精髄の反映であるからである。」(*5)と主張しました。テオリア―<聖なるヌースの黙想>―と、そのような黙想的な適応からもたらされる自我の変換が全体への復帰を達成します。
私たちは創造性において自身の<神性>を発現させるのであることをトールキンは理解していました。
「だんな、」と私は言いました。
「長く引き離されてはいても、
人間は完全に失われたり、まったく変わってしまったりしてはいない。
屈辱を受けたかもしれぬ、しかし退位させられてはいない、
そしてひとたびは所有していた君主の地位の切れ端を保持している:
人間、副創造者、屈折した光、
それを通して人間は、ひとつの白い光から、
多くの色相へとばらばらにされ、
心から心へと動く生きた様々な姿へと果てしなく組み合わされる。
すべての世界の裂け目を、私たちは、エルフとゴブリンたちによって埋めたが、
光と闇から、神々とその住処を、あえて建設しようとしたが、
そしてドラゴンの種をまいたが、――それはわれわれの権利だった
(使用された、または誤用されたのであろうと)。その権利は朽ちてはいない:
私たちが作られたところの法則によって、私たちは作り続ける。」(*6)
人間は元来、副創造者です。「現実の内的一貫性」(*7)を持つ二次的な複数の世界を私たちは創ります。と言うのは、私たちは、<唯一なるもの>の姿との類似性に創造を行い、従って<原初の創造>の基礎的原理を喜びとするからです。
<創造>は究極の芸術であり、神の最も偉大な成果です。トールキンの究極の芸術は物語ることでした。彼は<聖性>からの創造で彼の世界を始めます。
「初めにエル、<唯一なるもの>、アルダではイルーヴァタールと呼ばれるものがあった。彼はまずアイヌア、<聖なる者達>を創った。それは、彼の思考の子たちであった。そして他のものが創られる以前に彼らはエルとともにあった。そしてエルは彼らに話し、音楽の旋律のいくつかを彼らに示した。そして彼らはエルの面前で歌い、エルは喜んだ。しかし長い間、彼らはただ一人か、あるいはほんの二、三人が一緒になって歌うだけで、他の者は耳を傾けるだけであった。それは、彼らのそれぞれが、自分の出て来たイルーヴァタールの心のその部分しか理解しなかったためである。そして兄弟たちを理解して、ゆっくりとしか成長しなかった。とは言え、彼らが聞いているまさにそのときには、より深い理解に到達し、一致と調和を増したのであった。」(*8)
次にエルは音楽の旋律をひとつ提示し、アイヌアにそれを「偉大な音楽」に形作るように命じるのです。彼らはそれを成し遂げ、全ての内で最も素晴らしい音楽にしましたが、それはとても強力だったので、それは、
「<空虚>の中に広がっていった。そして空虚は空虚でなくなった。それ以後一度もアイヌアはこの音楽に及ぶような、どんな音楽も創り出したことはない。しかしながら次のようにも言われている。この世の日々の終わりの後、アイヌアとイルーヴァタールの子供たちのコーラスにより、さらに偉大なものがイルーヴァタールの面前に創り出されるであろう。」 (*9)
物事の、この幸福な状態は、メルコール、最も強力なアイヌアが、彼の独自の旋律を音楽に織り込もうと決心して、彼独自の現実を創ろうと努力して不調和を創り出すまで続きます。彼の不調和は<唯一なるもの>が介入しなくてはならなくなるまで広がります。<唯一なるもの>は、メルコールに新しい旋律に加わるように誘います。しかしメルコールは拒絶し、彼の古い不調和に固執します。そこでイルーヴァタールはひとつの音楽を生み出すのです。その音楽は「豊かで美しく、しかしゆったりとして、計り知れないほどの悲しみが混ぜられた」ものです。その音楽の美しさは、主にその悲しみに由来したのです。
それでもメルコールは彼の不調和の旋律を止めることを拒否します。そこでイルーヴァタールは立ち上がり、「最初の起源が私でない旋律は奏でることはゆるされない。」と宣言します。彼らの音楽によって何がもたらされたかを私は示すとイルーヴァタールは告げます。
<唯一なるもの>は彼らを<空虚>に連れて行き、宇宙の光景を見せます。その宇宙は、メルコールの音楽も含む彼らの音楽からもたらされた産物です。彼らはその世界と人々の光景の驚異に見入りました。しかし、それは単なる幻影で、しばらくすると消えました。アイヌアたちはそれに心をかき乱され、夢中になりました。そこでイルーヴァタールは彼らにこう宣言しました:
「『我は汝らの心の内の望みを知っておる。汝らが見たものが、まことには何であるべきかという汝らの望みをである。それが汝らの思考の内にだけではなく、汝ら自身と同じようにあり、そして自身とは異なるものとしてさえあれという望みである。そこで我は言う:エア!それらのもの、存在せよ!そして我は<不滅の炎>を<空虚>に放つであろう、そしてそれは<世界>の核心においてあれ。そして<世界>は<存在>すべし。そして汝らのうち望むものはその中へと降り行くことが許される。』
そして突然、アイヌアたちは、はるか彼方に光を見た。それは炎の生きた心を持つ雲で、そして、それが単なる幻ではなく、イルーヴァタールが新しい物を創造したのだということを彼らは知った。それは、エア、存在している世界だ。」(*10)
イルーヴァタールは彼らが世界の中へ降りるよう励まします。反抗的な降下ではなく、彼らが仕事に執りかかるために、形のないアルダへ降下することを望むことを確実にする聖なる方法によってです。(*11)
彼らは世界がまだ「始まろうとしている点にあり、まだ形をなしていない」ことを見出します。世界を形作ることは彼らの仕事なのです。これが彼らが<達成>すべきことになるのです。ヴァラール~創造の途中でのアイヌア~の多くはアルダへ降り、彼らの仕事を始めます。メルコールは遅れて来て、彼の仲間であるヴァラールと戦争を起こし、いつも彼らが出来ることを台無しにしたり、また限りあるものにしたりします。このようにして<創造>が始まります。
ヴァラール達は、男女の14の組と15番目のひとりの反逆者メルコールからなる集団です。男性的エネルギーと女性的エネルギーの釣り合いの必要性の概念はエジプトやカバラの思想そしてマルチネス・パスカレスの思想と一致しています。
男性的-女性的エネルギー
エジプト神話からトールキンに至るまで、 再統合の最初の段階のひとつは男性的-女性的エネルギーの調和です。エジプトの神々とヴァラールはメルコールを除いて男女の組になっています。おそらく、アイヌアのうちで最も偉大なメルコールの課題は、自我の内で男性と女性を釣り合わせることです。この課題は世界の諸サイクルの中では未だに達成されていないのです。
音楽による創造によりトールキンは単一性と多様性の概念を創造的に扱うことができました。調和は全てが方向付けられて一緒にされた多様な要素の一体化です。<唯一なるもの>における単一性はアイヌアによってもたらされたものの多様性によって縮小されはしません。アイヌアは結局<唯一なるもの>の心から来た旋律を歌っているのです。多様性それ自体は単一性に対して破壊的ではありません。
創造の大部分はヴァラールの仕事によるのですが、エルフたちと人間たちはイルーヴァタール自身によって創られました。マルチネス・パスカレス(*12)とカバラにおけるアダム・カドモンまたはアダムとイヴと同様の役割をヴァラールたちはもっています。彼らは<唯一なるもの>と宇宙とを再統合する役割を持っています。彼らは最終的にはアイヌアの音楽に調和をもたらすことさえします。すなわち、「この世の日々の終わりの後、アイヌアとイルーヴァタールの子供たちのコーラスにより、さらに偉大なものがイルーヴァタールの面前に創り出されるであろう。」とあるようにです。なお一層偉大な音楽が、時間の終わりに、アイヌアとイルーヴァタールの子供たちによって歌われるのです:
「その時、イルーヴァタールの諸旋律は正しく歌われるべきである。そして彼らの発声の瞬間、<存在>が得られるのである。と言うのは、全ての存在は、そのとき、その役割でのその意図が完全に理解され、それぞれがお互いの理解を知り、そしてイルーヴァタールが彼らの思考に喜びに満ちた秘密の火を与えるのだからである。」(*13)
均衡、相補性、反対物の調和~イルーヴァタールの子供たちの二元性の本質をお互いに補う男性と女性の相補性~を通して<唯一なるもの>と<多なるもの>の解決が行われるのです。
再統合への宇宙的な切望
トールキンの「中つ国」では人間たちは「死の贈り物」を持ち、エルフたちは<不死の国>へ旅をします。イルーヴァタールの子供の二つの種族は永遠に隔てられる運命のように思えます。それにもかかわらず、注目すべき人間とエルフとの関係~創造的で、軍事的で、霊的で、ロマンチックな関係~があふれており、事実トールキンの歴史のなかの最も主要な危機の解決なのです。「ロードオブザリング(指輪物語)」では「指輪の仲間」を引き受けるのは、五つの全く異なる種族の連合です。
「ロードオブザリング(指輪物語)」の結末では、アラゴルン、復興したゴンドール王国の統治者は、彼の死による別離の直前に彼の妻アルウェン・イーブンスターに次のように言います。「世界が姿を変えた時、そのサイクルの向こうに、我々の知らないような再結合が、まだあるのかもしれない。」(*14)この同じ再統合への熱望と希望は「シルマリルの物語」の最後の注釈に、最も痛切に記されています。
「『シルマリルの物語』はここで終わりである。もしこの物語が高貴さと美から、暗黒と破壊に移行したなら、それは傷ついたアルダの昔の運命であったのであろう。そしてもし何らかの変化が訪れ、この傷が癒されるなら、マンウェとヴァルダは知るであろう。しかし彼らはそれを明かしてはいない。それはマンドスの宿命にも言明されていないのである。」(*15)
これは退行周期の底にまだ達していない世界の光景です。この(指輪物語の)歴史ではサウロンとの戦いを含む、より多くの崩壊があります。「ロードオブザリング(指輪物語)」が終わっても、物語は終らないのです。
トールキンにとって、世界の<唯一なるもの>との再統合を開始させる事象の転換は、キリスト的な出来事です。それはマルチネス・パスカレスとその後の多くのネオプラトニズムの人たちにとっても同じです。神秘主義者にとってはこのキリスト的な出来事は、以下の認識を象徴しています。<聖性>と<被造物>は完全に切断されているのではなく、<宇宙>は<聖性>から生まれ、その「ばらばらになった光」によって、以前よりはるかに美しい姿で、そこに帰ることが出来るという認識です。(*16)
トールキン教授はこのような事象転換のために新しい言葉:オイヒアタストロフ(=ハッピーエンド)を作りました。(*17) 全てが失われたかのように見える時の最も暗い瞬間に、私たちは光が輝いて通過しているのを垣間見るのです。私たちが待ち望んでいた全てのことが結局は真実なのです。デイアス・エクス・マキナのわざとらしさとは対照的に、このハッピーエンドは完全に歴史と現実とに整合しています。私たちの現実が、想像力から切断されたのを、それは繋ぎ、両者を超越するのです。
「・・・この物語は至高であり、そしてそれは真実である。芸術は真実であることを立証された。<神>は天使と人間とエルフたちの<君主>である。伝説と歴史は出会い、融合された。」(*18)
人類は再統合の上昇の旅を始めることができ、反対のものを和解させて全てを元に戻すようにすることができるということを理解します。時の終わりに歌われる音楽は、創造の最初の音楽よりも、もっと素晴らしいものとなるのです。
トールキンの中には、永遠の罰という考え方も、ほのめかしもありません。トールキン教授はニュッサのグレゴリオスや他の神秘主義者たちが教えていた再復(反復発生)あるいは回復と同じ世界の救済を期待しているように思えます。トールキンに先立つ創造的な系統に属するジョージ・マクドナルド、小説「リリス」の作者によって、これは見事に例証されています。この小説はおそらく、普遍的救済の主題への現代的創作の最良のものです。(*19)
我々の再統合の作業は、熟考の能力と同じく創造の能力によっても、もたらされます。私たちは<多なるもの>の多様性の一部ですが、しかし<多なるもの>の対立を<唯一なるもの>へと調和させることも私たちの課題です。
<唯一なるもの>は<宇宙>を自身から発しました。そして今、ばらばらになった光と歌が戻って来る時、<唯一なるもの>はひとつの交響曲、あるいは多くの面を持つダイアモンドとみなすことが出来ます。掛替えのない光の破片と旋律は、以前より遥かに美しくなって戻ります。それは王であったオシリスが、切断されることを通して、次の世界の統治者になった旅に祝福されています。それ以外の方法で如何にして、無窮のものがより無限に、あるいは永遠のものがより永遠になり得たでしょうか。それぞれの必要な部分が全体と調和するのです。
闇の力たち(メルコール、セトのような、あるいはその他の)が光をばらばらにするとき、闇の力たちはそれを消滅させているのだと信じます。しかし実は、それは全て、再調和した旋律を回復するための旅の部分なのです。<言葉>、歌、旋律~これらは「行きて帰りし物語」における全ての創造的神秘家たちをエジプトとトールキンに繋ぎます。これら復帰の神話に支えられて、<唯一なるもの>の交響曲の中に、私たちの旋律を生きることを心に念じましょう。
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」(No.93)の記事のひとつです。
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