バラ十字会の歴史
その10 バラ十字運動とフリーメーソン、エジプトとエッセネ派とテンプル騎士団の起源(前半)
クリスチャン・レビッセ
三十年戦争が勃発したため、バラ十字会員たちはドイツ国内の公の場から姿を消した。彼らは当時かなり拡がっていた錬金術の活動に避難したのであった。一方、イングランドにおいてバラ十字会員たちはフリーメーソン団の始まりに巻き込まれていた。彼らは18世紀の中頃に再びその姿をはっきりと現すのだが、フリーメーソンとキリスト教の起源よりも古いエジプト文明に起源があったのだと主張し、誇っていた。
バラ十字とフリーメーソン
フリーメーソン団は、バラ十字運動によって整えられた18世紀イギリスの豊かな環境の中で生まれた。ヨハン・ゴットリーブ・ブール(Johann Gottlieb Buhle, 1804年)やトマス・ド・クインシー(Thomas de Quincey, 1824年)といった著述家たちは、フリーメーソン団はバラ十字会員から出たのだと記述していた。早い時機1638年にすでに、これら二つの運動の関連性はイングランドのエディンバラ市(スコットランドの首都)で出版されたアダムソン(Adamson)の詩集にある詩『女神たち』(The Muses)の中で述べられていた。そこにはこう書いてあった。「私たちはバラ十字の兄弟であるから/私たちはメーソンの言葉と二重の視点を持つ」。その後1676年10月10日に出版された『貧しきロビンの知恵』(Poor Robin's Intelligence)には、注目すべき声明~「古代バラ十字友愛組織とヘルメス思想の達人たちと、メーソンの一員と認められた者たちは食事を共にすることにした。」がある。このつながりは再び1730年9月5日付けのデイリー・ジャーナル紙(Daily Journal)の記事において強調された。それは次のように書いてあった「ある未知の団体が存在していて、イギリス・フリーメーソンはいくつかのその儀式を模倣し、この団体に起源が由来しており、それと同一のものであると世間に主張している。それらはバラ十字会と呼ばれている。」
ブラザー・I.O.
フリーメーソンの入門儀式に言及している二つの古い史料がバラ十字運動と直接あるいは間接的に関連があった人物たちに関するものであったということは目立っている。その第一の史料は、1641年5月20日からのものでエディンバラ市の「メアリ礼拝堂ロッジ」でメーソンの入門儀式を受けたロバート・モーレイ卿(Sir Robert Moray)に関してのものであった。興味深いことにモーレイ卿は英国王立学士院(The Royal Society)の創設メンバーの一人であり、錬金術の擁護者であり、トマス・ヴァーン(1622-1666)の後援者でもあった。ヴァーンはユージェニウス・フィラレテス(Eugenius Philalethes)のペンネームを使いファーマ・フラテルニタティスとコンフェシオ・フラテルニタティスの英訳本『「声明」と「信条告白」』(The Fama and Comfessio, 1652)を著した。
その第二の史料は、著名な古事研究家のエリアス・アシュモール(Elias Ashmole, 1617-1692)で1646年10月16日にウォリントン市(イングランド北西部)のメーソン・ロッジに入門が許された人物についてのものである。アシュモールは6年後に、重要な錬金術の論文を含むTheatrum Chemicum Britannicum(1651)を出版した。アシュモールはこの本の冒頭でファーマ・フラテルニタティスについて言及している。彼は最初のバラ十字宣言書は、クリスチャン・ローゼンクロイツの最初の四人の仲間の一人である「ブラザー・I.O.」がイングランドにやってきたことを思い出して述べていた。他の幾つかの事実もアシュモールがバラ十字運動に格別の興味を抱いていたことを示している。例えば、ボドリーアン図書館(Bodleian Library, オックスフォード大学図書館)に所蔵されているアシュモールの諸文書の中からは、彼自身の手によるバラ十字宣言書の翻訳原稿が発見され、バラ十字友愛組織へ彼の入会を申し込む手紙もあった。一世紀以上経ってから、ニコラ・ド・ボンヌヴィル(Nicolas de Bonneville, 1760-1828)は、フリーメーソンはそのすべての寓喩、象徴、言葉をバラ十字会から借用していたとまで述べた(La Maconnerie Ecossaise comparee avec les trois professions et Le Secret des Templiers du XIVe siecle, 1788)。フリーメーソンがバラ十字会を源としていると明言することは正しくないのだが、フリーメーソンの初期会員たちは18世紀のイギリスバラ十字会員であったことをここに記しておかねばなるまい。
アンダーソン憲法
フリーメーソンの活動は18世紀に始まった。一般的には、この組織の開始の活動はロンドンにグランド・ロッジ(本部)が設立された1717年だと考えられている。しかしフリーメーソン設立が決定的となった瞬間は、当時のグランド・マスターであったウォートン公(Duke of Wharton)によって出版された『アンダーソン憲法』(Anderson's Constitution, 1723)が出たときである。この文献は修正され再編集されて発表された『メーソンの古文書』として提示され、ジェームズ・アンダーソン(James Anderson)とジョン・デサグリエ(John Theophilus Desaguliers)とジョージ・ペイン(George Payne)らによるものであった。古代の石工たちの協同組合や組合組織の中で使用されたこれらの古文書資料は、古代の石工たちの「昔ながらの義務」で、最も古いものでは14世紀のものがあった。リージェス手稿(Regius MS, c. 1390)やクック手稿(Cooke MS, c. 1410)が主な例である。しかし古代の運営用の石工組合から継承されてきた組織というよりフリーメーソンはむしろ、思索者たちの組織である。そしてここでは「思索的」なフリーメーソンについて言及されている。それはその起源をアダムにまで遡り、大昔の「大洪水」でかろうじて残された二つの柱に刻まれていた古代文明の知識であるLiberal Arts(古代の人文学)を擁していると主張している。
フリーメーソンの伝説的な歴史はさておき、『アンダーソン憲法』はフリーメーソンの会規を提示し、加えてロッジの会合で歌われたいくつかの歌もあった。『憲法』の企画は全体的に、霊的というよりはむしろ社会的なものだったと言えよう。宗教改革と反宗教改革によって生じた分裂不和で際立っていたこの時代に、フリーメーソンはその会員たちに、『万人において各自が同意するような宗教を選び、それぞれの特定の「見解」は自身で保持し続けよ。つまりいかなる宗派や信条に関わらず真に誠実な善人となるのである……。』と熱心に説くことで満足していた。
ハイラムとローゼンクロイツ
18世紀初めのころのフリーメーソンは、我々が今日知っているような組織ではなかった。三つの階級~徒弟(Apprentice)、熟練者(Fellow Craft)、師匠(Master)[英語圏ではブルー・メーソン(Blue Masonry)あるいは熟練級(Craft Degrees)]~からなる基本的な構造が採用されたのは数年後のことであった。しかも当初は徒弟と同僚の二階級しかなかった。師匠と呼ばれる三番目の階級が現れたのは1730年頃のことであった。この階級に関する公式記録は『アンダーソン憲法』(1738)の第二版になってのみ見られるのであり、ハイラム伝説からなる象徴は1760年にやっとイングランドで真に採用された。ある側面では、師匠の墓の発見に関するような象徴等はハイラム(Hiram)クリスチャン・ローゼンクロイツの特徴であると推測していた。アントワーヌ・ファイヴル(Antoine Faivre)が主張するようにハイラムはクリスチャン・ローゼンクロイツの息子として我々は考えを認めるべきだろうか?『また神話的な創設者であり、その第一のものは、その場合には、クリスチャンが『伝承』の偉大な神官の人々の中に抽象的に凝縮されたのであった。』
フリーメーソンは最初、真正の入門儀式組織として出現したのではなかった。実際、諸儀式は「受け入れ儀式(rites of reception)」と呼ばれていた。「入門儀式(initiation)」という言葉は1728年から1730年の間の出版物になってのみ見られ、フランスでは1826年になるまで公式なものにはならなかった。これらのフリーメーソンに特有の儀式は会合に神秘的な側面を授与していたのであったが、ロッジは本質的には博愛が実践され良質な芸術が育まれる場所であった。フリーメーソンは徐々に入門儀式的で秘伝的に発達していったのだった。
エジプトの諸神秘
ルネッサンス期とは対照的に、17世紀にはパラケルススの門人ゲルハルト・ドルン(Gerhard Dorn)のような数少ない例外を除いてエジプト文明を参照する者はほとんど姿を消してしまっていた。彼の時代の秘伝主義には酷く批判的であり、〈原始時代の啓示〉(the Primordial Revelation)が古くはアダムに伝えられてエジプト人によって完成されたのだが、我々に伝えられてきた途中、つまりギリシアで歪められてしまったと彼は感じていた。もう一人の例外は、考古学、言語学、錬金術、磁気学に精通していたイエズス会の学者アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher, 1610-1680)であった。数十年以上にわたって、彼はエジプト象形文字の秘密を解明しようと懸命に努力し続けた。彼は著書Oedipus Aegyptiacus, 1652の中で、神秘的なエジプト象形文字には、わずかに残っていた「大洪水」以前の人類の知識が隠されていると主張した。このようにしてキルヒャーは、エジプト文明はすべての知識・文明の揺りかごであったと感じていた。19世紀初頭にシャンポリオンがエジプト象形文字の意味を発見するまでは、エジプト文明の基本的参考書といえばキルヒャーのものであった。
人々がエジプト秘伝主義への興味を再びかき立てられている証となったのは、『セトスの生涯~古代エジプト人の日記から』(Sethos, histoire ou vie tiree des monuments, anecdotes de l'ancienne Egypte)と題する著作で、1731年にテラソン神父(Abbe Jean Terrasson, 1670-1751)によって書かれた。この小説で作者テラソン神父は、古代エジプト人の古代宗教、社会の仕組み、ヘルメス・トリスメギストスによって知られていた変性の術を含む科学的知識を豊かに思い描いた。読者は、一人のエジプトのある王子がメンフィスにある秘密の神殿で入門儀式を受ける様を目撃した。ブーシェ・デ・ラ・リチャーデレ(Boucher de la Richardiere)が述べるところによれば、「いかにも本当らしい程度にイシスの神秘が明らかにされていたので、入門者の一人あるいはエジプト神官の一人がそれらを明かしてくれたのであろうと思えるのだ。」この本は、ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau)のバレエ・オペラ『オシリスの誕生』(Birth of Osiris, 1751)によって明白なように、エジプト文明を再び流行させることとなった。そして数年後、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトはフリーメーソンの入門儀式とエジプトの伝統を融合させたオペラ『魔笛』(1789)を作曲したのだった。
ノアの時代の宗教
テラソンの本は数多くのフリーメーソン会員たちの想像をかきたて、ほんの2、3年の間に新たな諸段位が設定され、フリーメーソンの階級型構造はかなり充実することとなった。1736年の12月26日に、フェネロン(Fenelon)およびギュイヨン夫人(Mme Gyuon)の弟子であったスコットランドの騎士アンドリュー・マイケル・ラムゼイ(Andrew Michael Ramsay, 1686-1743)は、パリ市のルイ・ダルジャン・ロッジ(Louis d'Argent Lodge)で「高段位」(または副段位)~いわゆる師/マスター以上の級段位~と呼ばれる階級の登場をもたらした新時代の幕開けとなった演説を行った。その演説の中でラムゼイは、フリーメーソンは原初的で普遍的で教義にとらわれない宗教である「ノアの時代の宗教」の復活であると説明した。そして更に、この『聖なる組織』は、十字軍によってヨーロッパに持ち帰られたがイギリス諸島とりわけスコットランド地方以外では結局忘れ去られてしまったのだと付け加えた。もう直ぐフリーメーソンはイギリスからヨーロッパの他の国々へと拡がっていく。間もなくテンプラー騎士団や騎士道、旧約聖書に関する諸伝説でラムゼイが語ったものは、メーソンの高段位を発案した会員たちの好奇心をかき立てる。錬金術、占星術、カバラ、魔術などの秘伝の知識やエジプト学もまた、これらの変性に含まれていた。1740年から1773年の間に、いくつもの高段位があることから無秩序状態に陥り、その中からひとつの高段位としてRose-Croix(バラ十字)が再び出現した。そして後者はすぐに、少なからぬ名声地位を得ることとなった。それはフリーメーソンのネク・プラス・ウルトラ(nec plus ultra)と同等の最終段位であると見なされた。
しかしながら、高段位の中のいくつかのものは独立した組織へと構成されていった。とりわけフランスでは1754年頃にマルチネス・ド・パスカーリ(Martinez de Pasquales, 1710?-1774)の「世界中の奉仕者たちの中から選ばれたメーソン騎士団」(Order des Chevaliers Macon Elus-Cohens de l'Universe)が起こり、またドイツでも同じ頃にヨハン・ゴットリーブ・フォン・フント男爵(Baron Johann Gottlieb von Hund, 1722-1776)の「謹厳遵守典礼会(Rite of Strict Observance)」が起こった。バラ十字運動が自律した組織として構成され、活動の自由を回復させたのは、まさにこのときであった。
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」(No.101)の記事のひとつです。
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