バラ十字会

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バラ十字会の歴史

その15 ハーヴェイ・スペンサー・ルイス(後半)

クリスチャン・レビッセ

キバリオン

 アメリカ合衆国ではニューソート思想が、極めて高く評価された著作家たちの多数の書籍の出版という成果をあげ、その中には前述の作家たちに加えて、ラルフ・ウォルドー・トライン(Ralph Waldo Trine)、ヘンリー・ウッド(Henry Wood)、エラ・アデリア・フレッチャー(Ella Adelia Fletcher)、オリバー・C・サビン(Oliver C. Sabin)、ビクター・ターンブル(Victor Turnbull)、エンマ・カーティス・ホプキンス(Emma Curtis Hopkins)、プレンティス・マルフォード(Prentice Mulford)、ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン(William Walker Atkinson)たちが含まれていた。アトキンソンは、アメリカ・ニューソート思想の極めて著名な代表的人物の一人として特記に値する。アトキンソンはフリーメーソン団員にして神智学協会会員で、ペンシルヴァニア州の弁護士で催眠学の教授であり、ニューソート思想のたいへん重要な著作家の一人である。アトキンソンは1902年から1915年の間に、実名およびヨギ・ラマチャラカ(Yogi Ramacharaka)の筆名で20冊ほどの本を出版した。その中で特に重要なのは、『ニューソートの法則』(The Law of the New Thought, 1902)と、『ヒンズー教ヨギの呼吸の科学』(The Hindu-Yogi Science of Breath, a Complete Manual of Breathing Philosophy of Physical, Mental, Psychic and Spiritual Development, 1909)の二冊である。これまでの作家と比較してアトキンソンを独創的にしているのは、ヒンズー教やヨガに関するいくつかの要素を理論と実践に取り入れている点である。この事は明らかに、彼の人生への2つの大きな影響の結果である。ひとつは彼が属していた神智学協会であり、もうひとつはスワミ・ヴィベカナンダ(Swami Vivekananda)である。スワミ・ヴィベカナンダは、ヒンズー教の代表として1893年にシカゴ市で開かれた世界宗教会議に出席し、その後ニューヨーク・ヴェダンタ協会(1894)が設立されるまで多くの都市で講演を行った。アトキンソンは著書で、マグネティズムによる健康回復や神秘学的呼吸法、カルマ、振動、極性、思考の投射や視覚化などの題材について触れている。

 アトキンソンはおそらく、あの名高い『キバリオン―古代エジプトおよびギリシャのヘルメス哲学の研究』の著者であろう。この書は「3人の参入者」の作品であると表紙に示されていて、かすかに密かにヘルメス・トリスメギストスをほのめかしている。すべての知識を統合した、古代エジプトの王家の技法を明かしているとキバリオンの著者は主張していて、それはインドやペルシャや中国の源流でもあると述べている。そしてヘルメス・トリスメギストスのものであるとして、「7つのヘルメスの法則」を発表した。その法則の中には、対応、生命の諸振動、極性、リズム、因果律(カルマ)の法則があり、それに加えて、『ヘルメス全集』(Corpus Hermeticum)の文章の内容と実際にはほとんど関係がないが、特にニューソート思想の著作において明らかにされた題材も含まれている。このように『キバリオン』は、ニューソート思想の諸原理をヘルメス学の諸原理に結びつけようと試みているが、この運動のあらゆる概念を含んだ驚くべき総括となっている。

 ニューソート思想の著作家に関する余談が長くなったが、この思想の、極めて注目に値する本の一冊、エラ・ホィーラー・ウィルコックス著の『ニューソートの核心』(The Heart of the New Thought, 1902)を指摘することで終わりにしたいと思う。この著書は即座に成功を収め、出版から3年のうちに40版に達した。彼女は数年後のアモールク(AMORC)設立のためにH・スペンサー・ルイスと共に尽力したことから、我々には特に興味深いものがある。

 1860年から1910年の間に、ニューソート運動は急速に発展して行った。その成功の理由は疑いなく、実用的な特徴を持っていたことと、神智学協会の影響を薄めようとした結果である。ヘルマン・ド・カイザーリング(Hermann de Keyserling)が指摘したように、神智学協会とは対照的にニューソート思想は、単なるオカルティズムが、その性質として二次的なものであると考え、それを拒否したのであった。そしてそれよりも、自己実現へと向かう個人の能力の拡大の方法を提唱した。その適用は具体的で日常生活の諸問題を解決するために使うことができた。さらに神智学協会と対照的なのは、この協会がオリエントの文化に染まっておらず、キリスト教的な性格が根本にあったことである。アメリカの心理学者ウィリアム・ジェームスは、心理学的な見地から、ニューソートが提唱する「精神治療」と、ルターのプロテスタント思想およびウェスリーのメソジスト派思想との間に顕著な類似点を見いだしている。

 アルベルト・ルイ・カイエ(Albert Louis Caillet)が数々の証言を行ったにもかかわらず、フランスにはヘクター・ドルヴィル(Hector Durville, 1849-1923)以外にはニューソート運動の追従者がほとんどいなかった。ドルヴィルは、神智学協会と、パピュスが指導する入門儀式形式の団体(マルティニスト会とバラ十字カバラ会)から離れた後の1893年に超心理学と催眠の研究を促進し、セラピストを養成する手段としてマグネティズムとマッサージを実践する学校を設立した。彼はフランスにおけるマグネティズム運動の一端を担っていたが、デュ・ポテ男爵の仕事を続けていたことを忘れてはならない。この男爵はニューソート運動、特にプレスティン・マルフォードの著作に影響を受けていた。ドルヴィルの『マグネティズム・ジャーナル』誌(Journal du magnetisme)は、世界中に広く知れわたった。1909年には、バビット博士(Dr. Babbitt)が長であるニューヨーク・マグネティズム単科大学が、ドルヴィルと密接に関わりながら活動していた。

ニューヨーク心霊研究協会

 1902年から1909年の間、H・スペンサー・ルイスは心霊主義者の活動に興味を持ち、個人的に調査を始め、その数々の教義を試験してみるようになった。そしてすぐに、霊媒を通して霊が発したと推測されていた様々なメッセージには、ほとんど重要性がないことを理解した。1902年、彼は調査をさらに拡大する目的で、詐欺目的の霊媒師を調査する専門委員会に加わった。あらゆる活動領域から集まった男女で組織されたこの委員会は、霊媒師とともに様々な実験をすることによって、これらの不可解な現象をより良く理解しようとしていた。委員会に参加して丸2年が過ぎようとしている頃、ルイスは20歳にしか達していなかったが会長に任命された。彼自身はこの名誉を、自身が持ついくつかの非凡な心霊能力によるものだとしている。1904年には、ニューヨーク・イブニング・ヘラルド紙の支援を受け、霊媒を調査する委員会を主宰していたこの土地に、ニューヨーク心霊研究協会を立ち上げた。彼が代表に任命されたこの団体は、科学者や医師が核となっていた。協会のメンバーには、作家で詩人のエラ・ホィーラー・ウィルコックスや、心霊科学研究(The Widow's Mite and Other Psychic Phenomena, 1904/The Psychic Riddle, 1907)で有名なアイザック・カウフマン・ファンク博士(Dr. Isaac Kauffman Funk, 1839-1912)などの著名人がいた。

 この時期のアメリカ心霊研究協会は、ボストン市に本部があり、合衆国内の心霊現象の調査の分野で支配権を握っていた。しかし指導者リチャード・ホジスン博士(Dr. Richard Hodgson)が1904年に亡くなってから勢いがなくなり、翌年の1905年には活動を停止してしまった。それからたった1年後に、ジェームズ・H・ヒスロップ博士(Dr. James H. Hyslop)は活動が停止したこの組織をアメリカ科学調査協会としてニューヨーク市で再組織した。以上から分かるように、ボストン市の心霊調査団体の活動停止によって生じた空白期間は、ニューヨーク心霊研究協会というもうひとつの団体に参入の機会を与えることとなった。H・スペンサー・ルイスの指揮のもと、この新団体が霊媒の真の能力を試すために調査を行った結果、50件以上にもおよぶ捏造が明らかにされた。また、この団体はニューヨーク警察および日刊新聞の『ニューヨーク・ワールド』紙と連携して活動を行った。ルイスはこの時期に、心霊現象の調査に関する数多くの記事をニューヨーク・ヘラルド紙とニューヨーク・ワールド紙に発表した。そのうちのひとつ、『1906年の驚くべき心霊的出来事』(Greatest Psychic Wonder of 1906)と題された記事は、1907年1月に発行された『ニューヨーク・サンデー・ワールド』紙に著者の似顔絵とともに掲載されたが、それはニューヨーク心霊研究協会が若いインド人の霊媒と行った実験について議論したものであった。

 しかし、ルイスがこういった調査に満足を覚えることはなかった。霊媒を通じて生じる現象が、霊が現れたことに由来するとは、ほとんど信じることができないことを見いだしていたからである。むしろ、それらの現象は、いまだに知られていない心霊能力に由来すると納得していた。ルイスが、数ある中からハドソン(Thomson Jay Hudson, 1834-1903)の著作を知ることとなったのは、この時期である。ハドソンは哲学博士で、始めて出版した1893年の『心霊現象の法則』(Law of Psychic Phenomena : a Working Hypothesis for the Systematic Study of Hypnotism, Spiritism, Mental Therapeutics…)以後、世界的な名声を受けていた。マグネティズムやスピリチュアリズム、精神の二元性、意識と無意識について触れたこの本をルイスはむさぼるよう読んだ。とりわけ彼の興味を引いたのは、この本がテレパシーについて科学的に研究をしていたためであり、意識と無意識をつなぐものとしての暗示、精神で物質を支配することができる方法が書かれていたためであった。またルイスは、オリバー・ロッジ卿(Sir Oliver Lodge)の著書で、当時ほとんど知られていなかった人間の能力について研究した『人間の生存』(The Survival of Man)や、より心理学的な傾向の強い『生命と物質』(Life and Matter)も読んでいた。

 1906年から1907年の間、ルイスは心霊現象の研究からは何も生じないと判断し、それを中断した。次に続いたのは内省の期間であった。そして日課としている瞑想中に、生命の数々の神秘に関する疑問の答えを見いだしつつあることに気づいた。これらの体験の最中に大いなる平安を経験し、目覚めた意識に戻った時には、創造主と自然界に関する諸法則と諸原理についての指導を内的に受け取ったという印象を得たと彼は自伝に記している。これに当惑した彼は、ニューヨーク心霊研究協会で知り合った年上の女性、メイ・バンクス‐ステイシー(May Banks-Stacey)に秘密を打ち明けて相談した。そのような体験の間に、過去世で得た知識をあなたはおそらく再発見しているのであろうと彼女はルイスに告げた。そして、ルイスがこれまでの過去世で一度かそれ以上、『エジプトのバラ十字会』のような神秘学の友愛組織に確かに属していたとさえ彼女は述べた。H・スペンサー・ルイスはこの答えに驚いた、というのもバラ十字とエジプトの結び付きを明かしていたからである。

 その後の時期にルイスは、バラ十字会の情報を捜し求めたが、この組織がドイツに存在していたこと以外、何の情報も得られなかった。この時までルイスは、秘密のバラ十字会の存在について何も読んだことがなく、わずかな間接的言及にさえも出合ったことがなかった。そして1908年から、彼の思索の全てはひとつの目標へと向かい始めた。古代の神秘家たちが教えていた事を発見し、自身の心霊的体験を通じて見つけ出すことの出来た事柄をその教えと比較するという目標であった。

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」(No.112)の記事のひとつです。

 

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