バラ十字会の歴史
その16 東方への旅(後半)
クリスチャン・レビッセ
入門儀式
その日の午後3時ごろ、ルイスは別のタクシーで、文書役から教えられた場所へと向かった。ルイスは川沿いの道路を行き、再びトゥールーズ市から離れる旅をすることとなった。古い町トロザ(Tolosa)を通り過ぎると、丘の上に立つ、高い塀に囲まれた石造りの城にたどり着いた。「東方への巡礼の旅」によると、ルイスはまさにこの城でバラ十字会への入門儀式を受けたのであった。この文献に入門儀式の詳細は述べられていないが、ルイスの自伝には興味深い内容が記されている。ルイスを出迎えたのは、未亡人となった娘とともにこの城に住む70歳のレノー・E・ド・ベルカストル・リーニュ伯爵(Raynaud E. de Bellcastle-Ligne)で、その暮らしぶりは高貴な生まれにもかかわらず質素な様子であった。伯爵は流暢な英語でルイスを客間に案内し、ルイスがアメリカで運営している心霊研究協会についてたずね、ルイスの数々の神秘的な体験に大いに興味を示した。
質問が終わると伯爵は、我らが巡礼者ルイスに入門儀式の時が来たことを告げ、「敷居(入口の境界線)の恐怖」と対峙する準備ができているかどうかを尋ねた。それから、古くからバラ十字会のロッジとなっている城の二階へとルイスを導いた。伯爵は、この殿堂は60年以上も使われていなかったが、1890年までは時折数人のフリーメーソン団員が訪れていたと話してくれた。伯爵の父親が最後の統括役員であった。したがってこのロッジが活動していたのは1850年代であり、言い換えれば、アレクサンドル・デュ・メジュ(Alexandre Du Mège)とラパス伯爵(Comte de Lapasse)の時代であり、フィルマン・ボワサン(Firmin Boissin)がアドリアン・ペラダン(ジョゼファン・ペラダンの父)から、バラ十字会の入門儀式を授けられた数年前であると考えられる。
伯爵は鉄の扉の前で立ち止まり、これから順番に3つの部屋の中に、「創造主とあなた自身のマスター」だけと一緒に入っていかなくてはならないとルイスに告げた。ルイスは指示に従って第一の間、控えの間に入った。それから真っ暗な第二の間に入り、「敷居(入口の境界線)の試練」を受けた。ルイスはそこで、ニューヨークの教会で前年現れた目に見えぬ人物の存在を感じるという神秘体験を再び得たのであった。そしてルイスはついに、伯爵が待つ第三の間へと至った。第三の間は、もはや装飾も設備も十分ではないので、それに合わせて入門儀式を変更しなければならなかったと伯爵は説明した。それから、その部屋の様々な場所にルイスを導いて、この儀式に秘められている意味を伝えた。
はるばる訪問してきた入門者を思いやって、老マスターはルイスを小さな部屋に案内した。そして、他の何人かの人と会う前に、この部屋でしばらく横になって休むようにと勧めた。そこでルイスはカウチに座ってまどろんだ。そして気がつくと、3時間が経っていた。眠っている間は、まさに今受けたばかりの入門儀式の夢を見ていた。しかし、夢の中で導いてくれたのは、伯爵ではなく第二の間で知覚したマスターであった。そして間もなく、3人の年配の男性に、ベルカストル・リーニュ伯爵がルイスを紹介したが、この人達は、本人も親もバラ十字会員であるとのことであった。この会見が終わると、ルイスはもう一度、かつてロッジであった部屋へと連れて行かれ、一輪のバラで飾られた十字を、伯爵がルイスの首にかけた。このことが象徴していたのは、ルイスがバラ十字会をアメリカに創設する責務を負ったという事である。
この象徴的な式典の後、そこにいたバラ十字会員のひとりがルイスに、バラ十字会の原理と主な諸法則が記されている蔵書を閲覧する許可を与えた。また、バラ十字会の様々な儀式・式典の象徴や図表を複写することも許可された。伯爵は、部屋の中央に置かれていた大型の旅行かばんから、数枚の象徴的な図案のエプロンと、一枚の祭壇用のテーブルクロスと、さまざまな文書を取り出し、バラ十字会の各段位の象徴を、この新入門者が書き留めることが出来るようにした。さらに、今後アメリカにバラ十字会を創設するために必要な情報がルイスに伝えられた。この時、バラ十字会創設の打ち合わせを主導した人物は伯爵ではなく、式典で主宰役を演じたラザル(Lasalle)という名の人物であった。この名前は、わずかに一文字違っているが、ルイスがこの日の朝「著名人たちの広間」(Gallery of the Illustrious)で会った写真家のクロヴィス・ラサール(Clovis Lassalle)なのだろうか? しかし、別人であると考える誘惑にも私たちは駆られる。というのは、ラザルは式典の主宰であり、歴史的に有名な数々の文書を書いていると描写されている一方、写真家ラサールは一冊も本を書いていないからである。しかし、クロヴィス・ラサールによって制作された、考古学と先史学に関する無数の写真作品を、ルイスの説明が示唆しているとも思える。いずれにせよ、式典の主宰がH・スペンサー・ルイスに告げたのは、今や彼は、あらゆる必要な指導を受けることができる立場にあるが、しかし、別の内的体験がさらに到来すべきであるということであった。式典の主宰は、1915年より前にアメリカにロッジを開設しないことを要請して、会見を締めくくった。
1909年の8月13日、バラ十字会への入会を受けいれられた後にルイスは、妻のモリーに手紙を書いた。
この旅での私の望みは全てかなったが、それは、多くの試験と試練なしには、ありえなかっただろう。(中略)ここは素敵な場所だ。古い城塞の写真をたくさん撮った。その中で私は、これまでに見たこともないような、いくつもの不思議な式典に参加した。(中略)ついに、R+Cに入った。創造主よ、感謝します。しかし、誓約と誓いは厳しいものだった。私とともに、この誓約と誓いを守れる人が、アメリカに、はたして何人いるだろうか?
数日後の8月26日、ルイスがパリに発とうとしていたとき、クロヴィス・ラサールから手紙がきた。翌月曜日、アーロン・ルイスとその息子スペンサー・ルイスは列車でパリへと向かった。そしてロンドンの大英博物館を訪れた後、9月1日の水曜日にアドリア海を航行するホワイト・スター号に乗り込み、ニューヨークへと向かった。ハーヴェイ・スペンサー・ルイスにとっては、これが大いなる冒険の始まりであった。
起源の秘密
おそらく読者も気付いておられるだろうが、ルイスが受けた入門には、2つの側面があった。つまり、1850年代まで活動していたロッジに所属するバラ十字会員に会うことと、内的な命を持つ神秘を体験することである。ルイスに入門儀式を授けた人物は、謎に満ちている。おそらく、ルイスが用いたレノー・E・ド・ベルカストル・リーニュという名は、その人物の正体を隠すための偽名であろう。
このような記述も、かなりの程度に、象徴的なものであると考えられる。秘伝主義の歴史には、実際の出来事と、いくつかの神秘体験が混じり合った文章がふんだんにあり、啓発の光をもたらす神秘についての報告を構成するような形で、人々の心の中に生き続けている。実際のところ、そのような文章には、ある特徴が含まれていて、大規模なスピリチュアルな運動の創設者の歴史を調べていると、そのような特徴に、しばしば出会うものである。入門儀式の叙事詩についての研究会で、アントワヌ・フェーヴル(Antoine Faivre)が強く主張したことによれば、秘伝主義的な運動の創設には、寓話が極めて重要である。フェーブルによると、創設の伝説が存在することは、いくつかの理由から、伝統的な組織が、正統なものであるかどうかの判断基準のひとつである。バラ十字思想の創設の物語―クリスチャン・ローゼンクロイツの東方への旅の物語―と同様に、ヘルメス・トリスメギストスの墓の発見に関わる物語も、この部類に属するものであるし、ルイスの入門儀式の物語も、同様のものである可能性がある。さらに、ロラン・エディゴフェール(Roland Edighoffer)は、興味深い以下の解釈を提案している。
この記述において我々は、入門儀式に関する伝統的なテーマの多くに出会う。そのうちのいくつかはJ・V・アンドレーエの「化学の結婚」(Chymical Wedding)に見られる。たとえば、弁証法の塔、軸をめぐるグノーシス(霊的認識)の発展を表す螺旋階段、聖なるテトラグラマトン(ヤハウェの四子音文字)を思わせる上層階の四角の部屋、城に入るときに渡されなければならなかった手紙、新たな誕生のための子宮のようなほら穴の象徴である。秘儀を伝授された2人の男女は「老賢者」の元型を思い起こさせ、この男女の葛藤は、ユングによって強調されているものである(Gesammelte Werke, Olten, 1976, 9/1, p. 231)。この文章の分析には、「睡眠」の役割が重要である。
H・スペンサー・ルイスの体験には、バラ十字の集団に属する達人たちとの、正真正銘の出会いも含まれていた。そしてこの集団は、ほんの部分的にしか活動していなかったが、その火はメンバーの内部の深いところで熱く燃え輝いていた。この体験の根幹をなしているのは、その霊的な側面である。以前の記事「エメラルドの島」において、アンリ・コルバンは、霊的な体験に基づく入門儀式によって父子関係が結ばれることの重要性を力説していた。コルバンによると、このことが、入門儀式が有効である基本的な必要条件であった。コルバンが強調しているように、この体験はハイエロヒストリー(hierohistory)に属し、それゆえに、歴史家によって実証が可能な事実の範疇には必ずしもない。こういった事実を無視することが出来ないのはもちろんであるが、入門儀式形式の思想運動の源を判断する際に、客観的に、年代順の事実を考慮に入れただけの研究では、歴史主義へと導かれてしまう可能性があるからである。それは言い換えれば、基本的には実証主義者や還元主義者の理解であり、この様な種類の思想運動の真の性質とは相容れない。それゆえに、主要な点が見逃され、この経験と関連した聖なる、非時間的なものが見落とされてしまうかもしれない。
なぜ、トゥールーズ市のバラ十字会員たちは、バラ十字思想を復興する仕事と権限を、ひとりのアメリカ人に与えたのだろうか? 記録によると、スタニスラス・ド・ガイタとジョゼファン・ペラダンに、既にこの任務を課していたのだが、努力の甲斐なく会は活動停止状態に陥ってしまっていた。このため、1875年にフランツ・ハルトマンが既に述べているように、「旧世界」に永続する基盤を再建することは不可能であろうと考えられていた。さらに、これらのバラ十字会員たちは、重要な出来事を予見する能力があるという評判を得ていたのであるが、ヨーロッパの中心地に大きな戦争がおこる予兆を感じていて、その結果、様々なものが破壊されてしまうことを恐れていたと推測することができる。ヨーロッパのバラ十字会員たちはおそらく、ひとりのアメリカ人に、自分たちの遺産を託し、合衆国にバラ十字会を設立する任務を与えることで、バラ十字の伝統が、危機に耐え、永続することが確実になると感じていたのであろう。
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」(No.114)の記事のひとつです。
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