バラ十字会の歴史
その17 古代神秘バラ十字会(後半)
クリスチャン・レビッセ
最初のバラ十字会ロッジ
ルイスと協力者たちは、1777年以降知られていたバラ十字の段位のハイエラルキーの構成を採用し、統領となったルイス自身が各段位の会員に学習内容を提供する準備をおこなった。最初のロッジはニューヨーク市7番街の一画に設立された。この場所には、バラ十字の殿堂のために必要な設備の全てが整っていた。ロッジの部屋は東が正面に定められ、ルイスはそこにエジプトの田園風景を表すフレスコ画を描き、東西南北の四方位に象徴が描かれた演台が配置された。ロッジの全体的な様子は、古代エジプト建築からインスピレーションを得たものになっていた。18世紀以降にバラ十字思想と秘教思想で確立されたエジプト学(Egyptosophy)は、アモールクにおいて表現される手段を見いだしたことも、我々は強調しておきたい。実際に古代エジプトの象徴体系は、新たに設立されたこのバラ十字会組織で卓越した位置を占めていて、ある段位では、古代エジプトの重要人物であったアクナトン王が、フリーメーソンにおけるハイラム(Hiram)と同等の地位を、この会において占めている。
アモールクは、儀式的な集会を「神秘集会」(convocation)と命名したが、最初の「神秘集会」は、1915年の5月13日火曜日に開かれた。すべての会員がバラ十字会の第一段入門儀式を受けた。「境界線を越えた」最初の人物は、統領の妻マーサ・ルイスだった。そして、バラ十字会の教えが会員に提供されたのもニューヨーク・ロッジであった。以下はバラ十字会入門儀式について述べたものである。
「私たちのバラ十字会の12の段位のそれぞれには、入門儀式の夜と、それに続く7から10の講義があり、通常は2ヵ月に一度、殿堂で行われます。これらの講義は各ロッジの主宰(master)によって提供され、フラターとソロールは席について、印や象徴や文言についてノートを取ります。講義は様々な法則の学習と説明からなっていて、古代の教えに基づくものですが、世界中の偉大な人々による新たな発見や発明とも調和を保っています(中略)。講義は、聖なる仕方で秘密が保たれ、タイル張りの(すなわち部外者からは隔てられた、完全に非公開の)ロッジで行われ、正式に入門儀式を受けた真の会員でない限り、誰一人としてここで秘密の言葉を聞いたり、その言葉を明かしたりはできませんでした。」
これらの講義はしばしば、他のロッジでも学習できるように文書化された。後にそれらは教本として印刷され、遠方に住んでいて神秘集会に参加できない会員も学べるようにされた。しかし、すべての会員が入門儀式を受けるために殿堂に行かなくてはならなかった。ロッジでバラ十字会の第一段の入門儀式を正式に受けた会員だけが、真のバラ十字会員であると認められた。
その翌年、バラ十字会の急成長にともない、組織の活動内容を会員に知らせるための定期刊行物の出版が必要となった。1916年の1月、アモールク初の月刊誌「アメリカン・ロザエ・クルシス」(The American Rosae Crucis)が発行された。その内容はバラ十字哲学の探究だけでなく、占星術や存在論、秘伝哲学、象徴学などの多様な話題にも及んでいた。会員数が増加し、新しいロッジを創設することになった。1915年11月25日、最高評議会は、ピッツバーグ市にペンシルヴァニア・ロッジを創設する認可状に署名を行った。1916年1月にこのロッジが開かれた時は、80名もの会員がウィリアム・ホドビーの指導の下で入門儀式を受けた。そしてすぐさま、フィラデルフィア市やボストン市、ウィルマーディング市(デラウェア州)、アルトナ市、ロチェスター市、ハーラン市(アイオワ州)、デトロイト市などに、新たなロッジが次々と創設された。
錬金術の実演
1916年7月に発行された「アメリカン・ロザエ・クルシス」誌(The American Rosae Crucis)の記事で、バラ十字会の第4段の会員と、世界総本部の役員を伴って、H・スペンサー・ルイスが1916年6月22日にニューヨーク市で特別な集会を開催したことが報告された。彼は該当する会員たちに、特別な神秘集会への参加を要請した。その集会でルイスは、物質を変成する錬金術の実験を行った。「ニューヨーク・ワールド」紙の編集局の代表者であったチャールズ・ウェルトンもまた、このイベントに立ち会うよう招待された。錬金術の実験は、一片の亜鉛から始められた。二、三の手順によって、正真正銘の亜鉛であることが示された後、ルイスはその金属を小さな陶器の皿の上に置き、様々な粉末薬を投じ、その全てを炉の中へ入れた。実験が終了すると、集まった人々は亜鉛の見かけが変化していることを認め、そしてそれを分析した結果、亜鉛は金に変成されていたことが判明した。
ルイス統領はほんとうに、錬金術の粉末を投入することで物質変成を行ったのだろうか? 行われた科学的な手続きでは、それを肯定することも否定することも出来ない。ルイスは、どのようなことがあろうと、この実験を行う許可はただ一度しか与えられていないと宣言していた。この錬金術の変成実験は、アメリカの報道機関に大きな波紋を投げかけた。「ニューヨーク・ワールド」紙は、1916年6月28日と7月2日付けの2つの記事で、この奇妙な実験について報じた。マリー・ルーザック(Marie Russak)も『ザ・チャネル―オカルティズム、生命の霊的哲学、超自然現象に関する国際季刊誌』(The Channel - An International Quarterly of Occultism, Spiritual Philosophy of Life, and Science of Super-physical Facts)の1916年10-
11月号の論評で、この錬金術的な変成について採り上げている。フランツ・ウィッテマン(Franz Wittemans)も後に、1925年にアディアール(Adyar)で出版された『バラ十字の歴史』の中で、この物質変成について報告している。
H・スペンサー・ルイスとフリーメーソン
アモールクは、いかなる信条の男女も会員として受け入れたので、その中には神智学協会や様々なフリーメーソン遵奉者の姿も見られた。H・スペンサー・ルイスのごく親しい協働者のひとりアルフレッド・E・サウンダース(Alfred E. Saunders)も、フリーメーソンのキング・ソロモン・ロッジのメンバーであった。サウンダースは1896年からマスター・メーソンであり、第33段と第95段のメンフィス・ミズライム儀式を開催している。そしてイギリスに住んでいたときに、メンフィス・ミズライムの大ハイエロファント、ジョン・イェーカー(John Yarker, 1833-1913)に入門儀式を授けられたと主張していた。また、『黄金の夜明け団』の創設者の一人サミュエル・リデル・マザー(Samuel Liddell Mather)と、ごく親しい友人であるとも言っていた。おそらくはこの友人サウンダースの影響があって、1917年にH・スペンサー・ルイスはフリーメーソンに入団することを決意した。ニューヨーク市西24番街46のメーソニック会館において、第523ノーマル・ロッジの「アプレンティス・アンド・コンパニオン」(徒弟と仲間)の位階の入門儀式を授けられた。このロッジにはサウンダースも所属していた。
しかしながらサウンダースとの衝突によって、ルイスはフリーメーソンであり続けることに早々に終止符を打った。道徳に関して鋭い感覚の持ち主であったルイスは、この協働者が道義的責任を追及されて1903年にイギリスから逃れてきたことを知ったのであった。ルイスはサウンダースとの共同作業を止める決断をした。野心的なサウンダースは、アモールクの管理運営から外されることに耐えられなかった。その結果サウンダースは、フリーメーソンのノーマル・ロッジの会員に対して、旧友ルイスに対する中傷的な言葉を使ってうわさを広め、ルイスがマスターの位階を取得することを妨害した。フリーメーソンの内部調査により、サウンダースの主張はねたみだけを動機とするものであることが示され、このロッジの役員たちは自分たちが騙されていたことを後悔することになった。そこでフリーメーソン書記官のフランク・ストロムバーグ(Frank Stromberg)は、ルイスが望むなら、マスターの位階を受けるようにとルイスに招請したのだが、さし迫ったいくつもの用件で心が奪われていたルイスには、この件をなし遂げる時間はなかった。
初のバラ十字大会
バラ十字会の様々な活動が強化され、会合、管理運営業務、儀式の挙行、入門儀式が矢継ぎばやに行われた。そのような様子から、その年が終わる頃にルイスは、職業活動を続けることが、もはや出来ないことを悟った。そしてルイスは、バラ十字会だけに専念することを決意した。
重大な財政問題を抱えていたにもかかわらず、アモールクは相当な発展を遂げ、1917年7月31日から8月4日にかけて、ペンシルヴァニア州ピッツバーグ市で初の全国大会が開かれた。この機会に、アモールクの憲章が初めて再検討され、最高評議会によって採択された。このアメリカ初の全国大会が終わりを迎えるにあたって、H・スペンサー・ルイスは、この仕事がなし遂げられたことに満足を覚え、バラ十字会が活動の新たな周期に入ったことを実感した。バラ十字会が歴史上に現れる時、それは、活動期と不活動期という周期に従っているとH・スペンサー・ルイスは考えていた。すなわち、108年間の活動期のあとには108年間の不活動期が続く。周期に従って、バラ十字会が既に活動期に入っているというのはあり得ることであったが、この数値の正確さを示すことは困難であった。しかし、この数字をその基本的な値に還元すると、つまり9という数を使用した神智学的な加法によれば、(108=1+0+8=9)、興味深い側面が示される。つまり、得られた数字である9は、実質的には、熟成期間と周期的復活の概念を象徴しているのである。ジャン・シェバリエ(Jean Chevalier)とアラン・ゲールブラン(Alain Gheerbrant)はこう述べている。「9は一連の数の最後であり、終わりと始まりの両方を告げている。言い換えれば、新しいレベルへの移行であり(中略)。顕現した宇宙の数字の最後のもの、それは、変容の局面への扉を開ける。それは、周期の終わり、旅の成就、輪が閉じられることを告げる。いったん姿を隠し、その後覚醒するというこの概念は、既に宣言書で示唆されていたのではなかっただろうか? 宣言書『ファーマ・フラテルニタティス』によると、クリスチャン・ローゼンクロイツの墓の扉には、「120年後に我は開く」と書かれていたのだから。
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」(No.116)の記事のひとつです。
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