バラ十字会

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バラ十字会の歴史

その4  バラ十字のこだま(前半)

クリスチャン・レビッセ

 バラ十字宣言書が出版される直前、ヨーロッパはその道徳的危機によって生み出された不安と争いにとり憑かれていた。誰もが「新たなる改革運動」を望んでいた。このような社会的背景の中でバラ十字会員たちは、調和を回復するための新たな方法の提案の呼びかけを世に送り出したのだった。概して、バラ十字会はヨーロッパを取り巻いていた危機の解決としてヘルメス主義を主張したのだと言える。こうした意図を念頭において、バラ十字会は1614年にドイツのカッセル市にある印刷会社、ウィルヘルム・ウェイゼル(Wilhelm Wessel)社から、通称ファーマ・フラテルニタティスと呼ばれている無記名の宣言書を発行した。しかしその完全な題名は、『全世界中の普遍的、そして一般的改革運動~バラ十字の褒め称えられるべき友愛組織のファーマ・フラテルニタティスとともに、ヨーロッパのすべての知識人達と統治者達に向けて書かれた~また,イエズス会に捕らえられ,ガレー船漕ぎの刑を受けさせられたハスルマイアー氏(Haselmayer)による短い答弁。いまや出版されて、すべての真実の心の持ち主たちに通知された。』この文献の中央部分をなすファーマ・フラテルニタティスはすでに1610年以来ドイツで手稿として出回っていた。その上、これはこの宣言書の現代に残存している版では唯一の部分である。

『パルナサスの広告』

 短い序文から始まるこの最初のバラ十字宣言書は、三つの明確な主題から構成されていた。第一は、世界の全体的な改革の必要性を詳しく述べていた。そこには指摘されていなかったが、これはトライアノ・ボッカリーニ(Traiano Boccalini)の『パルナサスの広告』からの「注告77」のドイツ語訳であった。この文献は一般にはほとんど知られていない。しかし、苦悶するヨーロッパの再編成の必要性を述べることで、これは内容的にバラ十字の計画を指摘したことで重要なのである。このようなことから我々がここで著者の意図を提示することは、理に適ったことである。ボッカリーニはガリレオの友人で、ベネチアの愛国者で政治家のパオロ・サルピ(Paolo Sarpi)の反ローマ教皇派に属していた。1612年に出版されたボッカリーニの風刺作品は,キリスト教ヨーロッパで政治的指導権を握ろうとしていたハプスブルグ家の企てを攻撃していた。これはジュルダーノ・ブルーノの『Spaccio』のように神話的会話の形式で書かれている。

アポロの改革

 『パルナサスの広告』はアポロが、地球の住人達がお互いに争い、絶え間のない反目による巨大な絶望に悩んでいることをユスティニアヌス1世 (Emperor Justinian)から教わったことを述べている。アポロは、人類にすばらしい道徳を教える数え切れないほどの指導者と哲学者を送り込む努力を惜しまなかった。そして彼は人類を元来の純粋さに戻すための誘導力のある全般的改革を計画することを決断した。この目的を完遂するために、彼はパルナサスの地にカトー(Cato)、セネカ(Seneca)、ターレス(Thales)、ソロン(Solon)、などのギリシアの7賢人を招集した。それぞれの賢人達は、自分の考えを提案した。ターレスは、偽善といつわりが人間の間での基本的な悪の原因であると考え、人間関係に誠実さと透明度をもたらすために人々の心に小さな窓を開けることを提案した。即座に反論が挙げられた~もし各人が世界を支配する王子たちの心を見ることができたら、彼らはとても人々を治めることなどはできなくなる!と。それでターレスの案は即座に棚上げとなった。

 ソロンは人間の間の激しい憎悪と妬みによって、混乱が生じたのだと感じた。ゆえに、ソロンは人間の間に慈善と愛と寛容が広められるようにと助言した。彼は、もし資産がもっと公平に分配されたならば、人生は今よりよくなるだろうと付け加えた。しかし再び、厳しい批評家たちが異議を唱え、パルナサスの賢人達はソロンの提案は「ユートピア的である」と言った。カトーは極端な解決方法を提案した~新たな洪水によって悪人達をすべて一掃してはどうかと。最後に、賢人たちが全員それぞれの考えを表明したのち、「アポロの全般的改革」の企画は、豆とアンチョビーの価格を定めることによって終了された。この風刺を通して、トライアノ・ボッカリーニは,いかに宗教・政治・あるいは哲学の団体が人類に進化や発展をもたらす能力がないかを例示した。

ファーマ・フラテルニタティス

この最初の文献に引き続いて、ファーマ・フラテルニタティス自体が発行される。この文学作品は極めて短いもので、全部で147ページの一冊の本の中のわずか30ページからなっていたが、ファーマ・フラテルニタティスは最初のバラ十字会の宣言書の最重要部分になっている。ファーマ・フラテルニタティスの中ではバラ十字友愛団の兄弟たちは、ヨーロッパの支配階級と聖職者達と学者達に訴えていた。彼らは啓発された精神の人々によって成された数多くの発見を見たそれぞれの発展した時代に敬意を示した後で、不運にもそれらの発見は人類が望んでいた光と心の平安をもたらすことはなかったということを強調した。バラ十字友愛団は、その能力を人類の奉仕に活用するよりもむしろ個人的な成功を獲得することのほうにより腐心していた学者達を非難した。同様にバラ十字友愛団は法王1の支持者達やアリストテレスの哲学とガレーヌスの医学の擁護者達のような古い教理に固執している人々をも指摘した。言い換えれば、権威に対して疑問を抱くことを拒否した人々であった。バラ十字会員たちは、神学と物理学と数学の間に拡がっている論争を思い起こさせた。彼らの態度は、コルネリウス・ハインリッヒ・アグリッパが魔術を定義した方法と類似していた。アグリッパは、魔術を真の科学として論述した。彼の最初の著作、『秘伝哲学について』(De Occulta  Philosophia)の初めの方に、彼は魔術をすべての科学の極致であるとした。つまりすべての哲学はお互いに補完している知識の三つの枝~神学・物理学・数学~に分かれているからであった。

 彼らの時代のこの目録作成の後でバラ十字会員たちは再生された知識を同時代の人々に提供することを提案した。この確実な原理の知識は、バラ十字友愛組織の創立者、師父C.R.から彼らにもたらされたもので、彼は何年も前に「全般的改革」のための基礎を築いたのだった。

 この神秘的な人物、師父C.R.とは、いったい誰だったのだろうか?この質問の答えがファーマ・フラテルニタティスの残りの部を占めている。その中はコンフェシオ・フラテルニタティスによって我々の知るところとなった、1378年生まれの若いドイツ人、クリスチャン・ローゼンクロイツ(Christian Rosenkreuz)のことからなっている。彼は貴族階級の両親の許に生まれたが、5歳のときに孤児となり、修道院に預けられた。彼はそこでギリシア語とラテン語を習った。16歳のときに彼の教育係だった一人の修道僧と共に、エルサレムの聖墓所へと巡礼の旅に出た。この東方への旅は、若いクリスチャンにとって真の入門儀式的な旅であった。しかしエルサレムへ向かう途中、キプロス(Cyprus)で彼に同行していた僧は亡くなってしまった。

 興味深いことに、伝説によると、キプロスはヘルメスと結婚して両性具有の子供、ヘーマフロダイト(Hermaphrodite)を誕生させたアフロディーテ(ビーナス)が誕生した地である。クリスチャン・ローゼンクロイツの伝説におけるこのキプロスについての記述には、錬金術的含蓄が一杯に詰まっており、そしてのちに発展させられた『クリスチャン・ローゼンクロイツの化学の結婚』(Chymical Wedding of Christian Rosenkreuz)の様々なテーマの前触れとしての役割も果たした。

アラビア・フェリックス

 同行した僧の死にもかかわらず、クリスチャン・ローゼンクロイツは旅を続ける決心をした。しかし、彼は目的地をダムカール2 (Damcar)へと変更した。この市は、しばしば述べられていたことに反してダマスカスのことではなく、メルカトルの世界地図(Mercator’s  Atlas,1585)に示されていたように、むしろアラビアの南西部のあるひとつの町であった。ダムカールはまた、アブラハム・オルテリウス (Abraham Ortelius)によって『Theatrum Orbis Terrarum』の中ではアラビア・フェリックスの中に位置する市であったと述べられていた。この地域は『ヘルメス錬金術大全』を保存していたとして知られていた。ダムカールには、少なくとも500人以上の学生が学ぶ大学があった。イエメンのこの地方は、その香で名高く、イスラム教分派のイスマイリ (Isma’ili)の中心地であった。「バスラの兄弟会」(the Brothers of Basra)の促進の下に、ここではあらゆる種類の知識~科学的そして秘伝的の両方の~が集められたある重要な百科事典が編纂された。ヘンリ・コービン (Henri Corbin)は、この秘伝主義の色合いの濃厚なイスラム教分派に極めて興味をそそられ、「R.C.の兄弟たち」とバスラの「純粋な心の兄弟たち」との間の会話を想像して楽しんだ。コービンは、これらの二つの友愛組織に類似した目的があることを見出した。その少し前には、エミール・ダンティン(Emile Dantinne)が同様の線に沿って解説していた。

 ダムカールでクリスチャン・ローゼンクロイツは、とりわけ彼に物理学と数学において重要な知識をもたらしたマギとの親交を深めた。このため、彼は『Mの書』(Book M)をラテン語に翻訳することができた。三年間の勉強の後、クリスチャンはもう一度旅立った。そしてしばらくエジプトに滞在した後、彼はフェズに到着した。

黄金の都、フェズ

 16世紀の地理学者レオ・アフリカヌス(Leo Africanus)によると、モロッコの市フェズは重要な知的中心地であった。壮大な図書館を所有するこの市に、学びに来る者たちが群れをなしてやってきた。ウマイヤド王朝(661年)以来、その諸学校はアブ・アブダラー(Abu-Abdallah)とイマム・ジャファー・アル-サディフ(Imam Jafar al-Sadiq)とジャビール・イビン・ハヤン(ゲベー) (Jabir ibn Hayyan,Geber)の錬金術を教えており、更にアリ・アシュ・シャブラマリシ(Ali-ash-Shabramallishi)の魔術と占星術も教えていた。レオ・アフリカヌスは、フェズでは神業的な形の魔術で、地面の上に五線星形を円で囲んだ図形を描くことから始まってその実践者達に目に見えない世界に近づくことを可能にするものが行われていた、と述べていた。

 ファーマ・フラテルニタティスは我々に、フェズの住人たちの魔術は完全に純粋なものではなく、彼らのカバラは彼らの宗教によって汚されてしまっていたと知らせてくれている。それにもかかわらず、永続する印象をクリスチャン・ローゼンクロイツに与えたのは、この都市の学者達の間に優勢であった分かち合う精神であった。これはドイツではほとんどの学者達は自分たちの秘伝をしっかりと守り続けていた傾向とは対照的であった。フェズでクリスチャン・ローゼンクロイツは、歴史的周期の調和についての知識を完全なものにした。彼はまた、すべての種子は胚として木になる要素を持っており、同様の形で小宇宙(人間)はすべての構成要素(本質,言語,宗教,医学)からなる大宇宙を内包していることを理解した。ファーマ・フラテルニタティスの著者達は、この視点をパラケルススから借用したのだったが、パラケルススはその著書、『哲学的洞察』(Philosophia Sagax)にはこのように述べている~「・・・この意味において人間もまたひとつの種子であり、世界はそのリンゴである。そしてリンゴの種子にとって真実であることは取り巻いている世界の中の人間にとっても真実なのである」

 フェズでクリスチャン・ローゼンクロイツは、学問のすべての分野を統べる法則の全体は聖なるものと調和していることを理解するようになった。彼は数学と物理学と魔術の学習を完了したのち、フェズの要素的住人たちと知り合いになったが、彼らは数多くの秘密を彼に明かしてくれた。後者はおそらく、パラケルススがその著書、『ニンフ(妖精)、シルフ(空気の精)、小人、火の精そしてその他の存在についての論文』(Treatise on Nymphs,Sylphs,Pygmies,Salamanders,and Other Beings)の中に述べていたものたちのことであろう。パラケルススが見たと言っていたこれらの存在は、人間の形をしているけれどもアダムの子孫ではなく、異なる先祖を持っていた。そういった存在と接触することによって、人類は自然の秘密を学ぶことができたのであった。

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」(No.86)の記事のひとつです。

 

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