バラ十字会

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バラ十字会の歴史

その6 『エメラルドの国』(前半)

クリスチャン・レビッセ

 このシリーズの前回の記事で検証したように、厳密な歴史的観点からすると、バラ十字会員たちは17世紀初頭になって始めて現れたことになる。我々は果たして、バラ十字会員たちがそれ以前には存在していなかったと結論付けてもよいのだろうか?セディール(Sédir)によると、「バラ十字はヨーロッパの中でのみ、そして17世紀にその名称を持ったのであった。我々はその名称を他の場所で、またそれ以前にもそれ以後にも持っていたのを暴露することはできないのだ。」そして彼はこう付け加えた。「バラ十字は精髄としては、人間が地上に存在してからずっと存在し続けていたのである。なぜならばそれは地球のソウルの非物質的な機能なのだからである。」彼独自の調査の不十分さに気が付き、彼はバラ十字会の本当の起源は、羊皮紙の上には見出すことができないと考えた。なぜならそれは、地球に関するものではなく不可視のものに関していたからである。

  入門儀式に基づく組織の起源についての研究で、客観的な年代順的な局面のみに基づいたものは、歴史法則主義に導く。言い換えれば、その発祥の主として実証主義的および還元主義的観点に導くのである。ではこれは、その本質を見落とす危険性を生じることになるのではないだろうか?つまりその神聖さとの関係をである。ミルチア・エリアーデ(Mircea Eliade)が指摘するように、「宗教の歴史は、最も原始的なものから最も複雑なものに至るまで、数々のハイエレフェニー(hierophanies,秘儀や教義の解説)の蓄積と神聖な実在の諸発現から成っている。」それは入門儀式に基づく諸組織の場合も同じなのである。それらの歴史は、サイキックな体験に根源を持ち、それこそが我々が今ここでこの局面に触れなければならない理由なのである。まさにクリスチャン・ロゼンクロイツがアラブ世界に旅したように、これから我々はこの記事でイスラーム文明へと旅することにしよう。

霊的な系統

  ルネ・ゲノン(René Guénon)は入門儀式を、人間を超越した存在の源泉からの霊的な影響の伝達であると定義しようと試みた。(とはいえ、彼は人間を超越した存在の源泉に関しては歴史前の古い時代の起源であるとし、不明確なままにしている。)ゲノンは、この伝承には二つの様式があると述べている。一つは不可視から人類に直接降りてくる垂直方式のもので、もう一つは神聖な奥義を入門者から入門者へと繰り返し伝えていく水平方式のものである。入門儀式的組織の歴史を研究する人々のほとんどは、一概に水平方式の系統を思い起こして自己満足するのだが、なぜならそれは、前者のほうは歴史家には感知できないままであり続けるからである。しかしながら、このような手順に従うと、入門儀式的系統の主題をいくつかの証明書や証書を発行する何らかの管理組織の水準に限定してしまうものである。一方アンリ・コルバンのように、垂直方式の伝承のほうを選び、神秘体験、霊的な系統を伝統的な妥当性の基本的基準にする人々もいる。

想像世界
(The Imaginal World)

  前回の記事の終わりで、クリスチャン・ローゼンクロイツと霊的運動のある創設者たちの伝記との間に存在する類似点に我々は注意を引くようにした。アンリ・コルバン(Henry Corbin)は、同じ人たちに言及し、他に二、三を追加していたが、ポール・アーノルドの説よりはもっと興味深い結論を下した。コルバンは、全く同一の霊的諸体験に注目を引く「原初の心象(primordial images)」の発現を示した。彼はまた、地上のものではなく天上のものである系統の共通の源泉の原理に言及しているが、それは「想像世界(Imaginal World)」にそのルーツがあるのである。コルバンは、その数多くの著作の中でこの「想像世界」の意味を説明しようと最善を尽くしており、特にイスラーム・イランの偉大な哲学者で神秘家のソフラワルディー(Shihaboddin Yahya Sohravardi,1155-1191)に関してのものには熱心に打ち込んでいた。ヘルメスとプラトンとゾロアスターは、このイスラーム・シーア派のプラトン主義者の思想が育まれる上で根源的な影響を与えていた。

  ソフラワルディーは、「想像世界(alam al-mithal)」を純粋な霊的な領域と物質領域との間に位置する次元として提示している。これは神智学的にはマラクト(Malakut,ソウルとソウルたちの世界)として示されており、それは形ある世界と純粋な精髄の世界を仲介する役割を担っている。それはまた、「第八風土」、「エメラルドの都市の国」あるいはフールカリヤ(Hurqalya)であると指摘されている。ソフラワルディーはそれについて、それは霊的巡礼者がその神秘体験の中で遭遇する世界であると述べている。ソウルをこの覚醒レベルへ上昇させる過程を説明するのに、イラニアン象徴学ではクァフ山(the mountain of Qaf)に登ることとして表現されている。これが関連しているのは、人間の霊魂の最も高い中心が山頂になっている宇宙的山以外の何ものでもない。この山頂においては、天の丸天井を緑色に着色するエメラルドの岩を発見するのである。こここそが、聖なる精霊、人類の天使が住むところなのである。スーフィー(Sufís)の思想では、エメラルドは宇宙ソウルの象徴である。また、クリスチャン・カバラにも同様の概念があることは驚きである。例えば、世界のソウルについて議論するとき、ヨハネス・ピストリウス(Johannes Pistorius)
はその著書De Artis cabbalisticae(1587)の中で、最後の天の「緑の境界線」について述べている。またこの概念は、クノール・フォン・ローゼンロス(Knorr von Rosenroth)のCabala denudataの中にも見ることができる。

真の想像力

 「想像世界」は内的な体験と結びついた機能を遂行している。ソフラワルディーによれば、人間はソウルの特別の機能、いわば活動的な想像力によってこの次元に入り込むことができる。パラケルススも同様にこのイマジネーショ・ヴェーラ(imaginatio vera)、真の想像力の機能について述べており、これを単なる空想と混同すべきではないと力説している。カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)が示したように、真の想像力は<偉大なる仕事>を理解するための根本的な鍵なのである。さらに、『バラ園』(Rosarium,14世紀)の中では、錬金術的著作は真の想像力によって成し遂げられるべきであると指摘されており、マルティン・ルーランド(Martin Ruland)は、その著作Lexicon alchemiae(1612)の中で、「想像力が人間の中にある星、天体あるいは超天体である」と述べた。ヤコブ・ベーメもまた「想像世界」について、<叡智>が住まう聖なる要素あるいは世界のソウルという表現で述べていたが、ゾロアスター教の聖典にあるスペンタ・アールマイティー(Spenta Armaiti)を幾分思い起こさせる描写である。

 「想像世界」は、アンリ・コルバンが示したように我々にとって特に興味深いのだが、それは神話または大叙事詩の中で、できごとが<展開される>時間のない次元のことだからである。そこは預言者たちや神秘家たちのビジョンが起こる<場>であり、人類の指導者たちが各々の使命を受け取る<場>なのである。またそこは神秘的入門儀式の<場>でもあり、さらには、「文献や公文書管区の中には見られない権威の、「霊的父子関係」の<場>なのでもある。この<想像世界>は物質世界と霊的世界が出会う点であり、それは「ビジョンの地」、「復活の地」と呼ばれているのだが、なぜなら、入門儀式を授かった者たちが、そこで自身の輝く身体を見出すのだからである。(この<光の人>のことは2世紀のアレキサンドリアの錬金術師ゾジムス(Zozimus)によっても語られていた。)このことはソウルとの結婚つまり<完璧な本質>との出会いを可能にするのである。ソフラワルディーにとっては、この霊的な体験に到達する個人はヘルメスの弟子になるのである。

入門儀式的物語
(Initiatic Narratives)

 ソウルのこの覚醒のレベルまで到達した霊の巡礼者たちは彼らの内的体験を、一般に象徴的な物語によって語っている。象徴的な物語は、霊の巡礼者たちの運動によって発生した霊的運動の基本的文献になったが、それにはいくつかの特徴がある。まず最初に、アンリ・コルバンが指摘するように、それは一般的な意味での神話ではない。それらの物語はできごとであり、その実在、時間、場所は、日常の歴史の秩序の中のものではなく、むしろ「想像世界」、ソウルの世界のものとして語られているのである。それらはヒエロヒストリー(hierohistory)、言い換えれば、聖なる歴史に関連しているのである。このように、それらは文字通りに理解されるべきではなく、(エマニエル・スエーデンボルグの表現を使えば)「内的感覚」によって理解されるべきなのであり、ただ唯一、錬金術的解釈法によってのみ、その意味を理解することができるのである。そしてそのとき、その深遠さを知覚する境界線上の読者の奥底の中心に触れる光を運ぶ手段になることから、変性の能力を持つに至るのである。さらにこの意味においてこそ、それらは真に入門儀式的物語なのである。それらの文献の中で最も有名なものはヘルメス・トリスメジストスの墓の発見を報じた文献である。

完璧な本質
(Perfect Nture)

  多くの歴史家たちが、ヘルメス・トリスメジストスがイサーク・カゾボン(Isaac Cassaubon)によって、その遺産に異議が唱えられた(1614年)後で消えた、まさにその時、クリスチャン・ローゼンクロイツが現れたと言及している。アントワーヌ・フェーブル(Antoine Faivre)によると、ファーマ・フラテルニタティスが西洋秘伝主義の再創立を表していた。したがって、クリスチャン・ローゼンクロイツの墓が発見された時の様子は、ヘルメスの墓の発見を思い起こさせることに注目することは、興味深いのである。アンリ・コルバンによると、バリナス、あるいはむしろティアナのアポロニウスが書き記したヘルメスの身体の発見の様子は、人間が彼自身のソウル、「完璧な本質」と遭遇したことの象徴なのである。ヘルメスはその手にエメラルドの碑板と<創造>の秘密が書かれた一冊の本を携えていた。これらの要素は、自己の奥深くに分け入り、自己を知ることに成功した者は<創造主>と普遍的宇宙の秘密を知っているという概念を思い起こさせるのである。

  バリナスの物語は、ソクラテスが「完璧な本質」について議論している、ピカトリックスの一節から引用されたもののようである。ヘルメスの証しを思い起こさせているこの議論は、叡智の鍵を開ける内的な指導であるところの哲学の霊的実在を表しているのであると指摘している。ピカトリックスの別の部分には、ハーラーンのサビアン人(Sabaeans of Harran)のアストラル儀式に属するとして提示されている祈りを含んでいる。それはヘルメスがアラビア語ではオターアード(Otared in Arabic)、ペルシア語ではティル(Tir in Persian)、ギリシア語ではハルス(Harus in Rhomaic)、ヒンズー語ではブッダ(Buddha in Hindi)と呼ばれていることを明言してヘルメスに誓願している。この人間と完璧な本質との遭遇はまた、ヘルメス錬金術大全の序文であるポエマンドロスの中でも触れられていることも、ここに書き加えておこう。

老賢者

  墓は、あの世へ転化する場所を表しており、ある文献ではそれを「想像世界」への移行と関連させている。墓は、結果的には肉体が霊へと変性する、その復活を象徴しているのである。またカール・グスタフ・ユングにとっては、墓はまた無意識の深みへ降りていくことも表している。二人の達人、クリスチャン・ローゼンクロイツとヘルメス・トリスメギストスの体がそれぞれの墓の中で発見されたが、その両方ともが老人の体である。ユングは神話や物語、あるいは夢の中に現れるこの象徴を、一つの原型「老賢者」(Old Sage)の表現であると分析した。ユングは、人が内的探究の過程である段階に達したときに、無意識が内的人生の中での表れ方を変化させると考えた。そして次に、霊魂の最も奥の中心にある「エゴ」(the Ego,自我)を表す新しい象徴的形態として出現するのである。女性の場合には、それは女祭司か女魔術師として現れ、そして男性の場合には一般的に、入門儀式を授ける年老いた賢者として発現した。ユングはまた、ヘルメスの中に入門儀式の錬金術的過程の原型を見た。ユングはヘルメス-マーキュリーを無意識と関連付けて、それを、統合の過程での主要な重要性の要素にした。言い換えれば、存在の中心である「エゴ」の発見の重要な要素にである。

神の友人たち

  アンリ・コルバンは、秀作En islam iranienの最終巻の最後で、いくつかのある霊的運動の創設者たちの伝記や記録の間の類似点を思索している。コルバンは、「神の友人たち」思想、緑色についての概念、諸周期に関する考え方、そして全く同一の霊的体験の啓示の再現などの様々な共通するテーマに着目していた。そこには、オリエントへの航海や、墓の発見や、公認の宗教の外郭に、ある形態の非宗教的あるいは霊的でもある騎士団の霊的運動のプロジェクトを創造する計画等の共通の言及が見られる。

  イスラームのシーア派(Shiite)とスンニ派(Sunni)の相違点の一つは、聖なる啓示(Divine Revelation)の周期についての考え方である。シーア派は、預言者の周期はアダムがエデンの園から追放され、アダムの息子セツ(Seth)が神から聖なる信頼を授けられたとき(天使ガブリエルもこのときセツに緑色の羊毛でできた外套を与えた)に始まったとする。この期間は預言者の封印ムハンマドによって完結された。そして新しい期間が始まった。なぜなら、<言葉>が<創造物>の中で循環し続けたからである。これがワラーヤ(warayat)の周期でありその目的は秘伝が予言の中で明らかにされることであった。それを伝えた人々は騎士として表され、「神の友人たち」(Friends of God)と呼ばれた。これらの存在は、完璧な人間であり、神の真の顕現であり、高位の霊的覚醒を達成した人々であった。彼らは、<創造主>との繋がりを失ってしまったことによる<創造物>の不均衡を一時的に調整するために必要な存在であった。

 イランのスーフィズムを代表する偉人の一人であるルーズベハーン・バクリー・シーラージー(Ruzbehand Baqli Shiraz,1128-1209)は、この点に関してこういった。「それらは<創造主>が今、世界を見ておられる、まさにその目である。また、キリスト教の聖書の福音書の中にも神との聖なる友情の主題が見られる。聖ヨハネは、こう述べている。「わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。私はあなたがたを友と呼んだ。私の父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからである。」(ヨハネによる福音書 15:15)

※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」(No.91)の記事のひとつです。

 

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