バラ十字会の歴史
その6 『エメラルドの国』(後半)
クリスチャン・レビッセ
緑の島
「神の友人たち」という表現は西洋に広がり、ルルマン・メーシュイン(Rulman Mersein)が神秘的な放浪者「高地の神の友人たち」に出会った後に設立した団体が、西洋においてこのように呼ばれた。この小さな共同体には、ヨハネス・タウラー(Johannes Tauler)が訪れ、そのまま住みついてしまった。この「緑の島」と呼ばれたところはストラスブールにあった。この名称は秘密の隠れ家で同じく「緑の島」と呼ばれたイスラーム・シーア派が世界の終末の到来を待ちうけているとされる「隠されたイマーム」を思い起こさせる。ルルマン・メーシュインは、修道院の時代は過ぎてしまっている、そして、これまでとは違った新しい形態の構造物が創られなくてはならないと考えた。それは聖職者たちによって創られたものではない新しい秩序の形態になるのであった。また、ルルマンの業績は蝋版に記され、1382年に彼が没したときに墓の中に入れられたことをここに記しておこう。
他人物の、タウラー、エックハートそしてスーソー(Suso)を取り巻いていた一団を作っていた人物たちは「神の友人たち」と呼ばれていた。スーソーの弟子たちは、「永遠の叡智の友愛組織(Brotherhood of Eternal Wisdom)」を組織することを企ててさえいた。ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエもまた、「神の友人たち」の表現を彼の著作、『聖霊の栄光のさや』(The Sheath of the Glory of the Spirit,1616)の中で使用した。彼の著作には、コンフェシオ・フラテルニタティスからのおびただしい数の引用が繰り返されていた。ここで述べた人物や団体の思想によれば、「神の友人たち」の名称は、普通「選ばれた人」、「人類の案内役」を示し、啓示体験と共に生きていた人々のことであった。
フラバルティス(The Fravartis)
「神の友人たち」の概念は、イスラーム世界では霊的騎士道精神(Spiritual Knighthood)と重なる。さらには、テンプラー騎士団が作り上げた連携関係を持つイスマーイール派のダーワト友愛組織(the Ismaelian Da’wat fraternity)は、騎士道精神を標榜する組織の様相を呈していた。シーア派教理の中には、「聖典の三大宗教」に共通する騎士道精神の考え方まで見られる。アンリ・コルバンによると、「霊的騎士道精神」のような考えは、イラン・イスラム前の宗教であるゾロアスター教の中に根付いていたものであった。それは<創造>の最初の瞬間について言及しており、フラバルティス(Fravartis)と呼ばれるある特定の存在の人々に、世界の調和を取り戻す任務を与えている。この概念については、紙面に限りがあるので十分に議論できないが、人間の入門儀式的本質、人間の「完璧な本質」、そして人間が神秘的体験を通じて再獲得するあの「光の人」の概念にしっかり結び付けられているのである。
この種の体験を生きていた人々、つまり啓示を受けた人々~この言葉の最も高尚な意味において~は、霊的入門儀式による指導者、エリヤに出会っている人々である。イエメンに源を発するスーフィの伝統によれば、ケズルー・エリヤ(Khezr-Elijah)はオワーイシ(owaysi)に入門儀式を与えた人であり、オワーイシは地上の師を通してではなく、霊的な体験を通じて入門儀式を授かった弟子たちである。そのような弟子たちには、オワイス・アル・カラニ(Oways al-Qarani)、イブン・アラービ(Ibn Arabi)、ハーラージ(Hallaj)などがいる。ケズルー(クヒリドKhird)またはアル・クハディール(al-Khadir)、あるいはインドではクワハラジャ・クヒドゥル(hawadja Khidr)としても知られている)は、しばしばヘルメス・トリスメジストスあるいはセツと比較されていることをここに記しておくのも有益であろう。古代の伝統によると、彼は天の海と地の海が接する場所に住んでいる。そして彼のマントは、生命の泉の水を浴びてから緑色になったと言われている。ケズルーこそは他ならぬ、「完璧な本質」、「知識の天使」~言い換えれば人間の最も光り輝く本質、その「内なるマスター(主宰)」の名称なのである。この経験が霊的騎士道の流れをくんで生きていた人々に入らなくてはならなかったのであった。
霊的騎士道(Spiritual Knighthood)
我々が論じてきた様々な人々の中に、霊的騎士道の軌跡をみることができる。フローリスのヨアキムが原始キリスト教精神のもとに修道院組織の設立に着手した時代(12世紀)のころには、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ(Wolfram von Eschenbach)はドイツでキリスト教思想とイスラーム思想に共通する騎士道精神の考えを発展させた。エッシェンバハのパルチファル(Parzival)は、それに基づいてリヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)がパルジファル(Parsifal)を書いているが、トレドでKyot le Provencalが入手していたアラビア語の文献から引き出されたものである。この聖杯伝説の翻案は、イラン語の原本によるものである。パリチファルの中に出てくる聖杯は、「聖霊」の鳩が降下した宝石であることを理解することは驚くべきことである。ある伝承は、それは聖杯の杯が彫られたエメラルドを意味していると述べている。
ここで述べられている様々な「神の友人たち」の伝記の調査は、彼ら全員が同様の霊的体験を体験して共通の霊的系統につながっていると我々が考えることを勇気づけてくれる。この考えは、アンリ・コルバンを熱中させ、この主題で彼の傑作、En Islam Iranienを終わらせている。コルバンは、同じ系統の力が太古の時代に突入して、エイブラハム伝統のすべてに共通する騎士道の概念がイスラーム・シーア派の中に起こるようにしたと信じていた。それは西側世界で全キリスト教的な騎士道の概念を発生させ、これがキリスト教、イスラーム教両思想の騎士たちを結びつけたのであった。これらの人々の中に、東洋と西洋の秘伝主義思想の支持者たちに共通する企画を見出せないだろうか?ここに「我々の西洋の伝統すべてにとっての、最も貴重な霊的秘密」を観察することができるのではないだろうか?この霊的騎士道には終末論的な目的があり、天地創造の始まりから、世界に<光>を取り戻す暁の到来のために働いてきている「預言者たち」、「選ばれた人たち」、「導き手たち」、「入門者たち」を一つに固く結んでいるのである。
世界のそれぞれの時代
多くの伝統が人々を<神の計画>に関して完全に啓発させる<聖なる啓示>は、今後何千年にもわたって行われるのであると主張している、この観念はユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の中に見られる。ユダヤ教では、この世界は今後わずか6000年しか存続せず、その終末には、エリヤが救世主(メシア)の到来の前に世界を浄化するために再来すると示されている。このエリヤの再来は、聖書の福音書の中にも繰り返されている(マルコ伝9:12、マタイ伝14:11)。この預言はまた、フローリスのヨアキムによって、<三位一体>をなす三人の人物の間に<聖なる啓発>の周期を割り当てられた12世紀を特徴づけている。ヨアキムは、<父と子>の時代の後に第三の<啓発>の時代が差し迫っていると発表したが、これは<聖霊>の時代であり、そしてエリヤの再来によって特徴づけられるのであった。そして聖ペテロ教会は、聖ヨハネ教会に取って代わられるのであった。これら、周期と新たな教会の出現についての考え方は、内的な宗教を説いた神秘主義の諸運動に相当な影響を与えていた。アンリ・コルバンは、これらの諸運動に携わった人物として、12世紀と13世紀のヨアキム思想者であるヴィラノバのアーノルド(Arnold of Villanova)、コーラ・ディ・リエンツィ(Cola di Rienzi)、バラ十字会員のヤコブ・ベーメ(Yacob Boehme)、シェリング(Schelling)、フランツ・フォン・バーダー(Franz von Baader)、ニコライ・ベルジャーエフ(Nicolai Berdyaev)などを挙げている。これらの理想は、ルネッサンス時代のキリスト教カバラ思想者パラケルスス、『ナオメトリア』のサイモン・ステューディオン、一連のバラ十字宣言書、マルチネス・ド・パスカリ(Martinez de Pasqales)にも大きな影響を及ぼしたことをここに強調しておきたい。
パラクレート(聖霊)
アンリ・コルバンが示しているように、〈啓示〉の概念は、周期として間隔があったが、イスラーム文化の中でも重要な役割を演じている。さらに彼は、カラブリア修道士(Calabrian monk)の、世界の三つの時代に関する理論と、イスラーム教シーア派のヘクサエメロン(hexaemeron、創造の六日間)の理論との間にかなりの親近性が存在していると主張していた。ヘクサエメロンの原理は、フローリスのヨアキムがその説をまとめる一世紀も前に、イランの哲学者ナスィーレ・ホスロー(Nasire khosrow)によって明らかにされていた。彼は<天地創造>の六日間と六つの大宗教(シバ教(Sabaizm)、バラモン教(Brahmanism)、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)の発祥を対比した。これらのどの段階も、<聖なる>ものへと導く新しい<光>をもたらす預言者の到来を示していた。しかし、これらの六日間は「宗教の暗い夜」であり、第七日目のみに、すべての啓示の霊的で秘伝的な意味が明らかにされるのだった。イスラーム教では、この主題を数多くの文献の中で発展させている。例えば、存在と叡智のハイエラルキー(階層)の各段階の例証を預言者の中に知覚したイブン・アラビーの『予言者たちの叡智』(The Wisdom of the Prophets、11世紀)や、神秘状態を象徴化したものを知覚したマフムード・シャベスタリー(Mahmud Shabestari)など。セムナニ(Semnani、14世紀)としては、預言者たちを存在の七つの微妙な中枢と関連させている。
12世紀に、シーア派の神智学者たちは「ヨハネの黙示録」と福音書に偏重する傾向があったが、彼らはジョハナイト(Johannaites、ヨハネの黙示録を信奉する人々)であった。さらに彼らは、第12番目のイマームの出現(復活)を聖書でヨハネが告知したパラクレート(Paraclete)、すなわち聖霊になぞらえた。ヨーロッパでバラ十字運動が開花していた17世紀に、イスパハーン(Ispahan)(古代のアスパダーナ、現在のイランのイスファハーン市)のシーア派の学校では、すでに「隠されたイマーム(12番目の)」はサオシュヤー(Saoshyan)、すなわち救世主であるとされていた。これは、ゾロアスター教によると、第12番目の千年紀の終わりに、<創造>を原初の<光>に戻すために到来するのであった。
ヒエロヒストリー
ニコライ・ベルジャーエフとアンリ・コルバンは、キリスト教徒とイスラーム教徒の両方が祈願していた、ここで述べた啓示の周期は、年代的段階としては理解されないかもしれないことを示した。これらは歴史ではなく、学者たちがヒエロヒストリー、つまり聖なる歴史と呼ぶもので、その出来事は直線的に次世代へと継承され<ない>のだとされていたのである。それらの枠組みはソウルの世界、ハイエレフェニーの世界におかれているのである。このように、彼らはこれらの期間は敵視的な期間ではなく、人間の内的発展の段階に関連していると感じているのである、ここに述べた歴史的な事実は、我々を啓発する意図を持つ発現からなる聖なる歴史の出来事を歴史的にまとめたものではないのである。さらに、ある人々はまだ啓示の第一段階にいるにもかかわらず、「第8風土」、「想像世界」を体験した他の人々は、すでに<聖霊>の時代に生きているのである。なぜなら彼らは、内的な体験を通して「神の友人」になっているからである。
真正の入門儀式的組織は、そのような発展に導いてくれる。組織の設立者たちの神秘体験は、一本の霊的騎士道の木の幹につながっている枝の一つ一つのように複数の団体を発生させている。例えば、ジャン・パプチスト・ウィレーモス(Jean-Baptiste Willermoz)は、「高くて聖なる組織」と語った組織は、世界の始まりに起源をもっていたと言っていた。近代のバラ十字運動に関する限りでは、バラ十字会は、不可視の組織、すなわち大白色友愛組織と呼ばれているものの単なる可視の領域での発現であるとされている。この関係において我々は、その源泉を探究すべきなのである。
この起源については、文書によって証明することは全くできないし、このような概念は合理主義的な歴史家に反駁されることを我々は理解しなければならない。秘伝主義と入門儀式的霊的運動の起源への新鮮な視点が必要であるとするミルシア・エリアーデの流儀のほうが、合理主義の歴史家の気をより少なく動転させることになろう。この観点においてアンリ・コルバンの研究は、非常に貴重なものであることは、その研究自体が証明しているので、それこそがこの記事の中で彼の著作についてかなり言及してきた理由なのである。彼の思想はクリスチャン・ローゼンクロイツの伝記を予見力のある物語として読むことを想像させてくれ、そのイメージの中にエメラルド板を発見することができるのである。それは霊的な体験について語っており、<創造>の秘密を明らかにしてくれる「完璧な本質」との出会いなのである。それはかつて存在した人の伝記ではなく、「想像世界」に戻った「特定の個人」の歴史であり、その「想像世界」とはアンリ・コルバンが入門儀式的継承の源泉でありうると熟考していた世界である。このようにして、ファーマ・フラタナティスは、原初以来<世界の光>を再びもたらすためにひそかに働いていた友愛組織に参加するように激励している入門儀式的物語の伝統の中でのその役割を果たしているのである。
ここで我々は、ミヒャエル・マイアーがバラ十字思想はエジプトとバラモン教の霊性と、エレシウスとサモトラケの神秘儀式と、ペルシャのマギと、ピタゴラス学派とアラブ文化に由来を持っていることを述べた時に何を言おうとしていたのかを理解することができるのである。しかしながら我々は、入門儀式的運動の起源は歴史を超えていて、ヒエロヒストリーの枠組みにぴったりはまり、読まれていることは単に書類の中にあるのではなく、ソウルの世界の中にあるということを感じ取ることができるのである。たしかニュートンは、その錬金術の著作の中で、真の真実は神話と寓話と預言の中に具体化していると言っていなかっただろうか?
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」(No.92)の記事のひとつです。
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