神秘学を科学する 第3部
Scientific Mysticism Part 3
ウィリアム・ハンド
By William Hand
第3章 別の次元
Other Dimension
「ひも」は、理論から予想されるサイズが非常に小さく、したがって、観測することは全く不可能です。光子(光の粒子)でさえも、「ひも」と比べればはるかに大きいのです。「ひも」を観察しようとすることは、指の先で一個一個の原子を感じ取ろうとするようなものです。しかし、「ひも」の活動、すなわち、その振動と相互作用は、検出が可能な物理的な粒子と力を作り出し、そのことよって、ひも理論は説得力のあるものとなっています。しかし、「ひも」には、別の驚くべき特性もあります。この数学的な理論をつじつまの合うものとするためには、私たちが日常接している三次元世界でも、それとは別の次元でも「ひも」が振動していなければならないということが見いだされました。物理学者は、ほかにいくつの次元が必要であるかということについては、まだ意見が一致してはいませんが、少なくとも7つの次元が必要です。このことに含まれている意味を考察する前に、まず、次元という言葉が意味することについて、一緒に理解して行きましょう。
その前に、興味をもっていただいた読者のみなさんには、エドウィン・アボットによる19世紀の小説「フラットランド」(Flatland)と、イアン・スチュワートによる現代の続編「フラッターランド」(Flatterland)を、お時間を作って読んでいただくことをお勧めしたいと思います。ともに次元の意味について説明している愉快な読み物で、しかも考えさせられる内容です。
さて、寄り道はこのぐらいにして、続けましょう。一次元の世界、つまり「ひも」の世界にいる自分を想像してみましょう。それはどのような感じなのでしょうか? 一次元の世界では、私たちには長さはありますが、幅や高さはありません。私たちが仮に生きているとするならば、線の両端にひとつずつ、2つの眼があることでしょう。しかし、私たちの生活はどのようなものになるのでしょうか?
一次元の宇宙に住む人たちは、一列に並べられていることでしょう。そして、全員が隣にいる仲間の同じ目を、いつまでもじっと見ていることでしょう。誰もその位置から動くことはできません。位置を変えるということは、存在しない別の次元で移動することを意味するからです(もしくは、少なくとも一次元世界の住民は、存在している他の次元を全く知覚していません)。
もうひとつの次元を加えて、そこに架空の生物が生息していると想像してみましょう。その生き物には長さと幅がありますが、厚みは全くありません。彼らは、お互いの周りを動いて、位置を変えることはできますが、お互いを跳び越すことはできません。もうひとつの極めて愉快な考察は、彼らの消化と排泄のシステムは、私たちのものとは全く異なっているということです。複数の開口部が体にあるだけであり、それらは連結していません。私たちのように、お互いにつながっている二つ以上の開口部、口、肛門、耳や鼻があるとしたら、二次元の生き物は2つ以上の断片に分けられることになってしまいます。したがって、私たちの身体が口や肛門を持つように進化できたのは、第3の次元があったからなのです。
しかし、「ひも」が振動する別の次元では、状況はどのようなものなのでしょうか? 科学者の多くは現在、別の次元があることを強く確信していますが、その状況については、実際のところ誰にも分っていません。別の次元について、私たちがほとんど何も理解できていないのは驚くべきことではありません。比較的寸法の大きい、私たちの身体に限って言えば、私たちは三次元に存在していて、それが全てだからです。現在のところ、発見されていない次元がどのようなものであるかについて、2つの理論があります。第一の理論では、それらの次元は非常に小さくて、すべてが互いに巻きついていて、小さい球に似たカラビ・ヤウ図形(Calabi – Yau shapes)と呼ばれる数学的な形になっているというものです。これらの球の数学的な性質によって、ひも理論についての多くの予測を説明することが助けられています。
もうひとつの理論では、それらの次元は非常に大きく、私たちの三次元の宇宙は、「膜」(branes)と呼ばれる他の次元の一部分となっているというものです。この理論のほうが、おそらく思い浮かべやすいでしょう。たとえば、先ほど想像したフラットランド(平面世界:Flatland)と呼ばれる二次元の宇宙を思い出して、三次元の世界にある気球を思い浮かべてください。もちろん、私たちはみな、気球がどのようなものであるかを知っていますが、フラットランドの生き物に、それはどのように見えるでしょうか? そうです、それは、平たい円盤に似ているでしょう。もし、気球が彼らの世界に向かって降下して近づいていくなら、単に円盤がだんだんと大きく見えてくるでしょうし、気球が上へと上昇して離れていくなら、だんだんと小さくなっていくことでしょう。彼らが知覚するものは、だんだんと大きくなる円盤か、だんだんと小さくなる円盤だけでしょうから、当然、フラットランドの生物は、「降下して近づく」、「上昇して離れる」という概念になじみがないことでしょう。さらに言えば、彼らはこの円盤のふちを見ることができるだけであり、おそらく反射する光の強さの違いから、その形を推測することでしょう。
この例によって、次のことを、より容易に想像できるのではと思います。つまり、私たちにとって、とてもなじみ深い日常的な物も、その中に存在する別の次元に私たちが気づいていないために、実在としては、まるで異なったものである可能性があります。第1部で量子物理学について議論したときに、「実在」(actuality)と「現実」(reality)という考え方を紹介しました。そして少なくとも、あなたは今、ひも理論と量子物理学の関係についての直観的な理解を、複雑な数学に頼ることなく得ることができました。
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。