神秘学を科学する 第6部
Scientific Mysticism Part 6
ウィリアム・ハンド
By William Hand
第1章 意識はどのようにして生じるのでしょうか?
前回のシリーズ第5部では、意識という話題を取り上げました。今回の第6部でも意識の検討を続けます。しかしながら、ここから先は、科学の中でも意見の分かれる分野に踏み込んでいくことになります。これから考察する科学的なテーマの大部分は、今もご健在である極めて偉大な科学者の幾人かによる理論であり、極めて深遠なものです。またこのテーマでは、神秘学思想の知的側面の中でも、現在のところ最先端である分野を扱(あつか)うことになります。全ての人には、人生のどこかで神秘体験に出会う権利がありますが、できることならば、この理論が、そのような個々の人の深遠な神秘体験が反映されたものでありますように。そして、読者の皆さまのすべてが、胸を躍らせる新しい眺めをこの記事の中に発見されることを私は心から望んでいます。
前回の第5部では、意識のレベルは、その構造の複雑さに見合ったものになることを明らかにしました。限りなく小さい粒子から、非常に複雑なシステムに至るまで、人間と同じように、すべてのものには意識があることが示されました。システムが複雑さを増すにつれて、システムは自体の存在を意識することができるようになります(私たちはそのような意識を一般的に「自己意識」と呼んでいます)。
ここで次の疑問が生じます。この「自己意識」は、どのようにして生じるのでしょうか? いわゆる巨大なコンピューターと、現時点の人間を区別しているものは何なのでしょうか? コンピューターがまだ、人間の脳ほどの複雑なものではないということがその差なのでしょうか? 認めることのできないばかげた意見に思えるかもしれませんが、このことが事実である可能性は確かにあるのです。それは、人工知能の分野で研究をしている多くの科学者の心からの信念であり、いつの日かコンピューターが、考える能力という点で人間と全く区別がつかない性質のものになるだろうと、この分野の科学者の多くは考えています。しかしコンピューターには、自己意識があるのでしょうか?
科学界では、この問題についての意見は二分されています。一つの意見は、「複雑なコンピューターはせいぜい人間の脳をまねているだけである。自己意識というものは、人間の脳がその一部でしかない、もっと全体的な心から生じる」というものです。コンピューターの処理能力が現在も飛躍的に向上し続けていることを考えると、この問題には、今の子供たちが生きている間に、必ず結論が出るだろうと私は予想しています。
※上記の文章は、バラ十字会が会員の方々に年に4回ご提供している神秘・科学・芸術に関する雑誌「バラのこころ」の記事のひとつです。バラ十字会の公式メールマガジン「神秘学が伝える人生を変えるヒント」の購読をこちらから登録すると、この雑誌のPDFファイルを年に4回入手することができます。